意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

結論からいえば

たまに読んでいて「結論からいえば」という言い回しにあたることがあり私はそのたびに
(結論からいわないパターンはどんなだろう)
と思ってしまう 私自身はあまりそういう書き方はあまりしないしまた文章の書き方は千差万別(今日も「一段上の文章術」というのを目にして糞食らえと思った)なのでもしかしたら「結論からいえば」を使うときはあらかじめ結論から言わないパターンがあって手を入れる段階で結論が先に来るのかもしれない


これは私の癖でいつも(じゃないほうってどんなだろう)と考えてしまう 人とのおしゃべりでも間を持たせるためにこういう発想を披露することがある 私は親しい間柄でもそうでなくても変な間ができるのを極端におそれる傾向がありそういう不安から逃れるためにそういう思考をするようになったと思われる 大人になって「別にあえて喋らなくてもいいんじゃないか」みたいな人に出会ってひどく驚いた それまではみんながみんな自分のエピソードを披露したいんだと思っていて思えばそのことで傷ついた人もいたのではないかと思う