意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

大家族の自転車

会社でフレックスが始まって朝遅めに家を出るようになった 道はいくらか空いている 小柄な女性が歩道で並んで走っていると思ったらひとりは視覚障害者でひとりはその伴走者だった  ゼッケンで判断しただけで車から見てもわからない 2人は橋へ向かう 朝日はもうまぶしくない


自転車を満載したトラックが前を走っていてそれを見て「大家族の自転車だ」と思った 赤とか黒とかがあった そんなのは嘘でこれらはこれから解体され壊されるのだ そう思うと切なかった しかし切ないという気持ちは条件反射の気がした 人はよく「感動した」とか言うけれどそれは「こういうときは感動しましょう」という刷り込みが働いたせいでもちろん純粋な「感動」もあるだろうがそんなの人生で数度しかない 優香というタレントが出てきたときに「癒し系」と言われていたが人の顔を見て美しいとかならわかるが癒されるというのはどうにも理解できなくて困惑したがたぶんみんなそうで一部の人が「この顔を癒し系とします」とごり押ししたから世の中になじんだだけの話なのだ