意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

人生

読んだ 難解なぶぶんもあったが言っていることはシンプルであった 子供に向かって「将来何になりたい?」と訊いたときにまず間違いなく職業名が出てくるのはこういうことだからかと思った 家で家事を専門にする既婚者をわざわざ「専業主婦」と呼ぶのは私たちが何者かになるというのはつまり何かしらに従事するということなのである 私はそういう考え方には子供の頃は違和感があったがもうだいぶ薄れてしまった 幼稚園を卒園するときに将来なりたいものを書きましょうというのがあって私は大工になりたかったから大工の私を書いたがちっとも大工っぽくないので足元に角材を書いた それはただの長方形であったがだいぶ大工らしくなったと私は思った 家を書けばもっとらしくなったのかもしれないが私にはそんな画力はないと諦めた 大工になりたい人はたくさんいたのでこのうちの何人かは本当の大工にはなれないだろうと思った 私はそこまで大工になりたいとは思わなかった 6歳の私が実際にそこまで考えていたのかわからない 自分の子供や甥などを見ていると無邪気なので自信がなくなった 大工と角材は本当だろう


金持ちは実際は質素な暮らしをしているみたいなことを2010年前後に読んでそれも資本主義の精神なのかしらとも思った 資本主義とはこすい奴なのだ 効率化・合理化によって0.1でも増やしましょうよというのがその精神である だから私の中で金持ちが相対化された あとやたらと目標とか「なりたい自分」というのが持ち上げられるのも資本主義精神の余波なのだろう ストイックとは禁欲であり確かに宗教のそれと同じである


川添さんは最初のほうで違和感をもったと書いているが私はすんなり受け入れてしまった

「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」感想・書評 - Letter from Kyoto


それから目さんの記事を読んで下記も読んだ

人生相談2題 - 何かのヒント

「人生の救い」というタイトルだったとは今知った Kindleで読んでいたからタイトルは目に入らなかった 記事の中で「凄みがある」とあって確かに希望もなにもないかんじがとても気に入ったが後半につれて柔らかくなってしまった 相談者に若い人が増えたから遠慮するようになってしまったのか編集の人に怒られたのか 「金を稼がなければならない」と書いていたのから本心をどこかへ隠してしまったのかそもそもなかったのであろう 私が好きなのは年寄りの夫婦の夫のほうが最近浮気するようになって世間体が悪いと相談した妻に対し・夫は世間体を気にするあなた(妻)につけ込んで浮気をするのだからあなたが悪いと突き放した回である  


もっとも感心した回は下手くそというか抽象的で何を言っているのかまるでわからない質問に対し「何を言っているのかわからない」と答えつつも抽象的な言い回しになるのはこれが理由ではないかと当てに言っている回である 何を言っているかわからない質問に「わからない」と答える回答者は多くそれは外れたらカッコ悪いから「わからない」で終わるのだがこの人のばあいは終わらなかったので感心した


私は実のところ人生相談の類がとても好きで昔は読売新聞のサイトの「人生案内」をむさぼるように読んでいたこともあるし元プロボクサーの竹中さんが辛口で答えるやつも好きだった 質問者が愚かだと尚楽しいというのは「発言小町」と一緒だろうがそっちはほとんど読んだことがない