意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

罪と罰

昨日の記事で罪と罰を読みたいと書いたあとに本棚から文庫を取り出して開いた 確か最初に読んだのは20歳くらいのころだったと思うが途中で投げた 何年かたって先にカラマーゾフの兄弟を読んでから最後まで読めたと記憶する そのとき以来だと思って開くとよく本を買うと中に挟まっている新刊の案内みたいなのがあってヨンダという新潮文庫のパンダのキャンペーンのチラシがはさまっていてプレゼントの締め切りが2011年だったから驚いた 2000年前後に買った本にどうしてそんな最近のが挟まっているのか よくよく見ると表紙もわりかしきれいだ 奥付を見ると平成22年発行とある 買い直したのだ 古いのは捨てたのだろうか ノルウェイの森なんかは版を重ねるごとに文字が大きくなるがこれは変わらず小さい文字だ とにかく買い直したのならそのときも読んだのだろう まったくおぼえていない そういえば最近こんなの読んだっけ? みたいな本が机の上にあったりする 机というかそこはただの物置きだ 比較的最近買った本を積んでいる そういう本の中にいつ読んだか分からない本がある 読んでない可能性ももちろんあるが読んでいない本というのはすぐにわかるのである 面白かった本というのはある水準をこえれば記憶には残るが詰まらなくて途中で投げた本も記憶に残る 私は多少つまらなくても最後まで読んでしまうが それでもこれ以上読みたくないと思う本も年に何冊かある ひとつの傾向として考えが近いと意見だと「そんなことわざわざ言う必要あるか?」と思って退屈になる 記憶に残らないというのはそこそこ楽しめた本なのだろう