タイトルのようなことをぼんやりと考えた またその少し前には「自由とはつまるところどの不自由にするか選択できる自由のことである」という定義を自分の中に立てて吟味した どちらも身を入れて考える気にはならなかった 悔いのないというのはずいぶん浅はかというか用法としては「動物園にきた 全種の動物を見て悔いのないようにする」程度のスケールの言葉だと思う 人生に適用するのはちょっと大げさというか笑ってしまう 悔いのないよう慎重を期すよりもタイミングを逃さないために後先考えず飛び込む場面のほうが私の人生には多かった それが大事というわけでなくそうせざるを得なかったのである 客観的に見ればいくらでもやりようがあるのにどうしてもその道でなければならないときというのが過去に何度かあった そうすることで後悔しないことは決してない ああすれば良かったというのは日に何度でも思う 比較的思わないのはある程度物事が思い通りにすすんで気分がカラッとしているときである
どうしても「悔いのないように」という言葉がズルい言葉に聞こえる どこか免罪符を求める言葉に思えてくる 過去が存在する以上後悔が存在しないことはできないことはわかっているのに何かを要求しているのである