意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

初恋

昨日車の中で妻が音楽を聴いていてなんという歌手かは知らないがいわゆる「感謝系」の歌だったので辟易した 君への愛に気づいて感謝みたいな内容だった この手の歌は東日本大震災以降に増えた気がする 絆とか流行った すぐに絆を歌詞に織り込む歌手が登場してどれだけ節操ないんだと思ったがこれは私の偏見もあるだろう 山下澄人は割と時期に震災が出てくる小説を書いているしそれと前述の歌と何が違うのかと言われたら何も違わないからだ


私は「感謝系」の歌を聞くたびにその歌っている男性歌手がセックスをしているところを想像してしまう 感謝とは主に愛に関する感謝でありそう言っている一方でその音楽で得た現金と名声で容姿の整った女とのセックスを手に入れるのである これもまた偏見であるがテレビで流れる音楽が表現ではなく商売であることは間違いない そうじゃないとしたらあるのは商売との葛藤である 経済活動を否定するつもりはないがそうすると感謝する対象が愛なのが納得できない また音楽を聞くときくらい金のことを考えたくないという気持ちもある 


歌謡界で愛が量産されるのに対し「誰かを好きになる気持ちがわからない」という書き込みを読んでそういうのに寄り添う表現があっても良いと思った 私は小学校一年のときに初恋をし8年くらい想い続けていたがどこでそれを恋と自覚したのか今となってはわからない セックスやその前の自慰行為をおぼえると恋と愛のすべてが射精に置き換わってしまう 子供の恋も射精の予感にすぎない可能性もあるが私はひたすら相手も自分と同じ気持ちであってほしいと願い続けていた 小学校一年のとき「友達リスト」というのを作って女子の筆頭にその子の名前を書いたあの頃が懐かしい あのときの私はすでに恋を知らなかったのか、それとも知った上でさらに秘すべきものと自覚していたのか