意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

忘れ物

アニメ「はなかっぱ」で主人公のはなかっぱのクラスで「明日ショートケーキをつくりましょー、材料は各自が持ち寄って」というエピソードがあってはなかっぱはイチゴの担当となる はなかっぱは頭から花を咲かせる能力があるからイチゴも咲かせればいいということになってお母さんが心配するのをよそにテレビやサッカーなどをして遊んでいるうちに次の日の朝になってそれでも花を咲かすダンスをちょちょっと踊ればイチゴは咲くはずなのだが咲くのはカボチャばかりである 焦れば焦るほど咲かせられなくなって休み時間などもがんばるのだがどうしてもうまくいかない 最後は泣きながら謝ってみんなも許してケーキは急遽カボチャのケーキになりましたとさ、と終わるのだがこの話はもう何度も再放送されておりそのたびに私は胸が疼いてチャンネルを替えたくなる 直視できない 何故だろうと考えたらそれは忘れ物ばかりをしていた小学生のころの自分を思い出すからだった 軽いものでは書き方で使うフェルトペンとか中くらいでは芋掘りで使うシャベルとか 親がもう少しチェックとかしてくれれば良かったのにとも思うが私には妹と弟がいたからそんな余裕はなかったのだろう いちばんきつかったのは国語の教科書の上と下を間違えたときで間違えた下を上だとごまかして一時間乗り切ろうとしたら読み上げを当てられてそれでも斜め前の人のを盗み見しながら読み上げたら上手く行かなくてバレて思い切り怒られた 授業中だったがすぐ隣のクラスで借りてこいと言われ隣に行ったら体育でいなくて三組に行ったら三組は若い先生で「どうした?」と言われた 「どうした?」というのは実は私の鼻の頭の大きなかさぶたのことで何日か前に私は自転車で思い切り転んで顔面から落ちて鼻を擦りむいたのだ それで誰かに上は借りて乗り切ったが書いている今も落ち着かない気持ちになった 過去は恥ずかしいことばかりの連続だがたまにフラッシュバックのように当時のことを思い出しうずくまりそくになるがその度に「もう済んだことだ」と自分を落ち着かせている どうして小学生のころはあんなにきつかったのか 自分の子供を見ていると子供どころか妹や弟が小学校に通っている姿を見たときに私ほどきつくないのではないかとかんじた たまに夢で「今日は体育があるな 憂鬱だ」と思うことがあり目が覚めて体育なんて二度とないことを知って安堵する 逆のパターンもあってまだこれから大学受験だと思うと夢の中で安堵する 私は特別体育が嫌いだった記憶がないがもしかしたら体育着を忘れてしまうリスクを恐れていたのかもしれない