意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

母の日

明日は母の日だというのに母が死ぬ夢を見た 父と飯を食っていて食べ終わったら「頼むわ」と言われ頼まれたのは洗濯物をたたむことだった 洗濯物についている洗濯バサミを外しながらずっとこれをやっていた人はもういないんだと思うと泣けてきた それからすぐに目が覚めてそういや生きてるなと思い出し安心した 40歳手前になってもそんな夢を見る というか定期的に見る 私にとって母とはなんなのか 幼稚園のときに風呂場で毒ガスが発生して母が死ぬ夢を見たときは翌日になってまた夜になってその夢を見るんじゃないかと気が気じゃなかった 「怖い夢見ない」と唱えながら床についた


以前も書いたが夢から覚めるときはその間の状態があって母の死で言えば生きてそうだが確信が持てないみたいな時間帯がある 私はそれをトンネルと表現しそこで道を間違えれば母が死んでいる現実へ行くということを書いた 間違えなくてもいつかは死ぬから「死んだんだっけ?」と思いながら目を覚ましても死んでいて朝からため息をつくのである 死は一方通行だから生きてきたことを確信して安心した朝のことを懐かしく思うのだろう あるいは死んだら死んだ夢は見なくなるのか 夢はいろいろ容赦してくれる装置である 転職に失敗して鬱になりかけたころ「この現実は夢だったんだ」と目が覚めて前の職場へ行く夢を何度も見た 本当に覚めたときにどんな気分だったのか全くおぼえていない