意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

昔の写真が直視できない

実家に行ったら妹に昔の自分の写真を渡されそういえば結婚するまでは割と熱心に写真を撮っていたように思う 現像に出すときに安い店と高い店があった 私はセブンイレブンにアルバイトをしていたからそこで現像に出したこともあったがセブンイレブンは高かった 一枚いくらみたいな計算だと高くなり安いところだと一括でいくらという計算なのだ そういう安い店を誰かに教わってとちゅうからそちらに出すようになったのだが今となってはどこだったか全く思い出せない とにかくあるときから私は全く写真を撮らなくなった


写真を現像に出すというのは今となっては完全に消滅してしまった行為だが思い返すと奇妙だ 初めてインターネットでCDを買ったとき、あるいは初めてCDをコピーしたときの着慣れない服に袖を通したときのような居心地の悪さがあった それまで一生懸命カセットに録音をしていてMDが登場してMDは少し未来なかんじがしたがそれから先のPCを介したコピーや購入は手応えがなくて独特の心細さがあった それまでは物理ボタンがありボタンは録音専用(あるいは兼用)だったがPCの場合は画面に出てきた録音の領域に矢印を合わせてマウスを押すだけである それに合わせてCDが回り出すが果たして意図通りの結果が得られるのか不安であった PCというのはそれまでの家電よりも汎用性が高いからどこかで道を間違える可能性は高かった それまでなら「故障」という判断が容易だったが今では自分の勘違いなのかハードとソフトの相性なのか判断が難しい


そういうことをやり始めてもう10年以上が経つとすっかり馴れて今度はテレビのリモコンについた食べかすが気になったりレンタルビデオをわざわざ返しにいく行為がとんでもなく田舎くさくかんじてしまうが過去とそれ以外を比べるのは楽しい作業だ 例えば携帯電話を持つようになって待ち合わせの楽しさが消えて寂しいみたいなことばかり言われるが私のドラムの先生は留守番電話が出たときに「これで電話に縛られることがなくなった」と感動したという 仕事の電話に取れないと他に流れてしまうからそれまでは極力電話のそばにいなければならなかったらしい