意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

※写真

掃除をしていたら寝室のクローゼットの前にアルバムがあってこれは前から置いてあるのだがホコリがかぶっていることに気づいてそれを取り除き少し中を見た およそ10年と少し前の写真であり上の子が今の下の子よりも幼い様子がおさめられている 口の左右が目一杯奥まで伸ばされている表情は明らかに作り笑顔でありそういえば当時も今も妻や義母は被写体に過剰なくらい笑顔を要求する 笑顔即ち楽しいなんてかなりおおざっぱな判断である しかし当時は作り笑顔だとは思わなかった


ここ十年で私も妻もだいぶ容姿が変わり私はむしろ十年前のほうが老けていたようにすら見える 太っているし髪がもっさりしている ラクダ色の毛布のようなカーディガンを羽織り野暮ったい 周りはみんな半袖である 当時の勤め先の影響もあった気がする だから変だとは思わないが私じゃない気がした ところで上の子が幼い様子を眺めていたら今現在の下の子の顔を忘れて下の部屋まで見に行ったら思い出した 忘れる/思い出すってなんだろう 脳の中は電気が走っているそうだが何かの拍子に導体が半導体や絶縁体になってしまうのだろう 例えば記憶に基づいてその人の顔を絵にしようとしても絶対にうまくいかないから記憶とは写真のようなものではないのだろう そうすると「写真は思い出」というのは厳密には正しくなくさっき私は昔の写真は他人のようだと書いたがむしろ最近の写真に自分らしさを認めてしまうほうが奇妙だ