意味をあたえる

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ブラウン管テレビ

ブラウン管テレビに「気配」を感じる人々 - Togetter

私も上記記事と同じように例えば家族がビデオとかを見終わったときなどに部屋に入ると画面は真っ暗でも電源がはいっていることがなんとなくわかりリモコンの電源ボタンを押すとぶつっと一瞬画面が光りそれが中心に向かって収束されている様子を見ることができ断末魔のようだと毎回思った 私とてそこまで夢見がちではないので例え画面が真っ暗でも何らかの音が出ているものと分析していたがその正体はわからずいつも「なんとなくわかる」という状態だった 考えるにこれは霊感とかも同じで体は観測してもそれを自覚できない場合には「なんとなく」という感覚になるのではないか 霊がいるかいないかは置いといて何かしらの波動が粒子が私たちの体にぶつかってきているのである いわゆる心因性と呼ばれるものや集団パニックなども物体であり心も物体だ それは直感ではわからなくても例えば大昔の人に「空気も分子なんですよ」と言っても「そう言われてもなあ」というイメージを拡張すればなんとなくわかる 私たちがどうして空気も物体だとわかるのかといえば理科の教科書にドッキングしたピンポン球みたいな図をさんざん見せられたからで結局は刷り込みなのだ そういえばサイモンシンの科学の歴史みたいな本に天動説が一般的な時代からどのように地動説が市民権を得たのかというと結局天動説を信じた人がみんな死んだからで生きていながら天から地にはほぼ行けないのだそう そう考えると人間はいつまでも自分というものにこだわってはいけない・自分を突き放せないと宇宙の外に目を向けられないと思う 私は人生の目的があるとするならそれは相対化でありどこまで「どうでもいい・なんでもいい」という境地にいけるかだと思っている


ところでブラウン管のテレビだが小学校のころの担任があるとき朝の会だかで実家の母親が昼間テレビを消して出掛けたはずなのに帰ってくるとついていて「なんでだろうまだボケる歳でもないのに」と思っていたら原因は近くを走るダンプカーの無線がたまたまテレビのリモコンの周波数とかぶっていて電源が入ってしまうというものだった 私の父もよくテレビの映りが悪いとすぐ「誰かが妨害電波を出しているせいだ」と決めつけていたがそんな父も耳がだいぶ遠くなったらテレビの映りにケチをつけなくなった 一時期はずいぶん大きな音でテレビを見ていたが最近は補聴器をつけるようになってテレビは静かになった