意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

途中式

「途中式は消さないように」と先生が言った


そんな記憶をセレモニーホールの前を通りかかったときに蘇った 悪名高いホールである らせん状の通路の先に駐車場があって通路は狭いし勾配が急だから難儀だと誰かが言っていた とてつもなく頭でっかちの看板が地上30メートルの位置に立ちそれが悪の象徴だった 通路の入り口に小看板があって旅館の今日の宿泊者ご一行のように業者が3つも書かれていた みなセレモニーである 頭でっかちの看板といえば私の勤め先もそんな看板で東日本大震災の直後にそこに立っていたら先輩に怒られた こんなの構造計算とかめちゃくちゃだから倒れてくるぞという弁だった 私は嫌いな先輩だからむしろ下敷きになってぺちゃんこになってやろうかという気持ちだった 看板もきっと薄いアクリルかなんかだからドリフみたいに頭が突き抜けて「このやろう」となるかもしれないと思ったから私の頭の中も相当のお花畑だった そのときは駐車場にいてそれは停電になって何の仕事にもならないので上司がカーラジオをつけて情報収集をしていたからで私は部下だからいちおう上司のそばにいようとしたからである 非常の照明がすぐに暖色の光を灯したが豆電球みたいにすぐ消えた よく見ると短い紐が垂れ下がっていて脚立に乗って引っ張ってみたがかちかちっと乾いた音を立てるだけで何も変化なかった 「まるでカチカチ山みたいだね」と言ったら滑った みんな外で電柱がありえないくらい揺れるのを目の当たりにしてすっかり意気消沈していたのだ みんなというのは立川と品川と淀川と下関川だった 当時「花より団子」というドラマがやっていて名前に花のつく四人組が「F4」と呼ばれていたから(FはフラワーのF)と私は心の中で(R4)と呼んでいた しかしアールフォーだと口がむにむにするから次第に「アール」だけになり最終的に「アー」になった 外人みたいに最後がゥで終わるアーである 私に看板から離れろと怒ったのは淀川で淀川は次の週になると水平計を持ってきて建物の傾き具合を計り次に揺れたらどちらに逃げるべきかを私に指導した 傾かない側に逃げるという理屈だがそっちに逃げるには営業所を突っ切らなければならず最初のうちは女の事務員が好奇の目で私と淀川を見ていたがだんだんと見なくなった というか2回目から私は淀川について行かなくなった 他の人は最初から来なかった 誰も建物から出なかった みんな淀川の言うこと聞くくらいなら死んだ方がいいと思っていた 私は死にたくないから建物の傾いている側に逃げたが結局建物は無事でその数年後の大雪のときは雨漏りがすごかった やはり停電して春になると雨漏りはおさまった それから夏になると作業場の冷房が効かなくなってR4も大汗をかきながら仕事をする羽目になり立川が自分ちの壊れた扇風機を持ってきて回した みんなこんな広い部屋に家庭用扇風機を置くなんて砂漠に木を植えるようなものだと馬鹿にしたがひんやり涼しかった 営業所のT所長が「お前らはドアとかすぐ開けっ放しにするから馬鹿なんだ」とR4を馬鹿にした これで立川は二度も馬鹿にされたことになり本人も定時制高校を卒業するという最終学歴だから日頃から「俺がいちばん学歴が低い」と自慢していたから面目躍如といった具合だった T所長はまた、路面に草が生えているとR4を叱った 自然破壊が温暖化を招いているのに理屈に合わない話だった 


それから2年くらい経ってようやく冷房が直ると原因は数年前の大雪のときに配電盤を誰かがいじってファンが回らなくなっていたためでしかし修理を依頼した業者は最初は「何か意味があってこの設定なのかも」と戻す設定を躊躇し私も何度も「ここいじったか?」と訊かれた 冷房が復活するとT所長は頻繁に作業場を訪れるようになりやたらと「工具置き場が汚い」とか「六角レンチはサイズごとに小箱に分けろ」とか言い出した 大きかなビニールを細長く切って出入り口にぶら下げスーパーマーケットみたいにした 

「おまえ等はすぐ開けっ放しにするから冷房効率を上げてやった」

T所長が頻繁にやってきたのは事務員のエスさんを疎んじているからでエスさんは極度の寒がり+コスト意識によって冷房温度が28度だったからだった 作業場は23度だった