意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

親心

私の会社にも少し前にコンプライアンスの窓口ができて各拠点にポスターが張り出された セクハラとかパワハラとかそういうのがあったからここに連絡くださいねということが書かれて痴漢のポスターみたいに「声をあげましょう!」みたいな文言が印刷されている 私はそのときも今もふーんてかんじだったがあるとき噂で○○営業所のなんとかさんが上司の当たりがきついから電話したらしい、そして上司はしばらく気持ち悪いくらい優しくなったという話を聞いていくらか機能はしているんだなと感心した しかし「しばらく」優しかっただけでこの上司が上司でなくなるとかそういう根本的な解決はなされなかったからやはり物足りない気もした それだけ致命的でもなかったということかもしれない 同じようなことが家庭でもあった 上の子が小学生のときに親から虐待を受けたらここに電話してねみたいな手紙をもらってきて手紙には返信用の紙もついていて、子供がそこに出したいと言うから私は見ない振りをすることにした 理由として子供の母親は確かに子供に対してよく叱りつけていたしその理由が理不尽にもかんじていたからと、私は私なりにフォローをしているつもりだったが第三者的には私も虐待していることになるかもしれないと思ったから子供が手紙を出すことに賛成はしなくても出すことを止めてはいけないと思ったからだった 「出してみれば?」くらいは言った そういうところが機能しているか知りたかったぶぶんもあった


結局は子供宛に手紙がかえってきただけで要するに虐待にはあたらないという判断だった 内容は忘れたが怒られないアドバイスとかそんなのだった どうしてそういう出来事を私が知っているのかというと私は上の子にはたまに怒ることはあったがだいたいは傍観者のような親で子供のやることに口は出さずに見守る態度だった そのため子供は割と素直にそういうことを打ち明けた 子供はすぐ叱る母親を憎んでおり言い返すと倍叱られるから言いたいことをノートにまとめていると教えてくれた 私は当然ノートを見たいとは思わなかった やがてそこには母親ほどじゃないにしろ父である私の悪口も書かれていることも教えてもらった いい気分はしなかったがやはり見なくて良かったと思った またあるときはYouTubeで放送がしたいというからアカウントの取り方だけ教えて放置したらだんだん金銭のやり取りみたいなのが始まってちょっとヤバいかなと思ったら母親にバレてアカウントは即消されたので私の出番はなかった


私は確かに干渉が足りない親なのかもしれないが妻とバランスを取るためにはこのくらいがちょうどいいと思ったしそもそも私自身も干渉されたくないから自然だった 私は妻の両親とも暮らしているがこの親も干渉が好きで成人した娘にもあれこれ言いたがる 外から見ていると人として信用されていないのでは? と思うくらいの基本的な質問も含まれており私は悲しい気分になってしまう あるいはそういうのを親心と言うのだろうか