意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

私の過去

車谷長吉の人生相談を読んだ 二回目である 前にも書いたかもしれないが前半は割と人生には救いがない・人間として生まれた時点で終わりみたいなことが頻繁に書かれていて素敵だと思うのだが後半に行くにつれその態度が緩和する 何故かと思ったら段々と相談者の年齢が下がってきていて中学生とか小学生とかが質問している そういう人たちに「死ぬのが待ち遠しい」と答えるのはちょっとニュアンスが異なってしまう 影響された子供が自殺するとかそういうことではなくそもそも出版されたのだから未成年が読む可能性はある そうではなくつまり人生相談で向き合っているのは自分自身ということか 私は中学の頃に読んだ五木寛之の「生きるヒント」の「人生には希望がない」という言葉で足を踏み外した もし読まなければもっと違う人生だった気がするがやはり同じだったと思う 何故ならその前から私は「孤独に生きるしかない」と思っていた 中学の頃がいちばんそういうことを意識した 大人になって結婚をしたら寂しいとかんじることはほとんどなくなったがやはり誰とも分かり合えないんだということは何度も思い知らされた 代わりに人に対する態度がやわらかくなってきた


車谷長吉蓄膿症で子供時代は鼻水をたらしていて周囲にいじめられて母親はちゃんとした体で生んでやらなかったことを謝罪した しかし車谷はそれが母の責任でないことは理解していてしかしいじめられて帰ってきては母が責任をがんじるからといじめ返すようにしたといい、それによって向こう気の強い人間になったという 私はそれを読んで自分がかつて小児喘息だったことを思い出し喘息は発作が起こるとまともに呼吸ができなくめ苦しくて寝られないから母を起こして発作を止める薬や機械を用意してもらったりした 寝ている母を無理に起こしても母は一度も怒らなかったがそれはやはり弱いからだに生んだ私に負い目があったからだろうか それでも母に悪いから中学生くらいから薬は自分で用意するようになった 薬を吸入器にセットしてそれを機械で動かさないといけなかったのである 大人になって自分の子供が生まれると夜中に起こされても怒らないようにしようと思い実際そうしたら妻は普通に怒るから子供は私のことばかりを起こすようになった それでも私の子供は健康だから起こされるのは年に数度でしかも幼児期だけだったから私は母にかなわない