意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

忘れてしまうのは簡単だ

小さなライブハウスの発表会を見に行って私もかつてネット上で小説投稿サークルをやっていたことを思い出した 月に二回の締切を設けて投稿してもらい揃ったらTwitter上で読書会を行う ネットで知り合った人なので顔も声も知らなかった 私の周りにはレズビアンが多かった もちろん直接訊いたわけではないがそういう内容が時おり情報として流れてくるのである 私は私自身に偏見はないとは言い切れないが少なくとも文字だけのやりとりだし何か不都合があるとはどうしても思えないしそもそも興味がなかった そういうスタンスというか雰囲気が相手の警戒心をほぐしたのかもしれない 精神的に不安定な人もいてこっちのツイートに「そういう言い方はやめてほしい」みたいなことを言われその一方的な言い方に私はキレてしまったこともあったがそれでも後から思えばやめておけば良かったと思った インターネットはぶつかり合うより距離をとるほうが余程いいのである と書いたがそれは現実でも同じかもしれない


とにかく今日の発表会を見ながら私は今も昔も誰かの主張に必死に耳を傾けていたことを悟った それは誰かの支えになりたいみたいなことではなく私はそういうふうに声を聞かないと気が済まない性分で極めて利己的なのである そうしてあるときに疲れ切ってしまってサークルもやめてしまったのである 私は常に報われることを望んでいるのだった しかしいつもみんなは知らんぶりだから嫌になってしまうのだった