意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

関越自動車道

先生いわく、
デイブ・ウェックルは性格が悪くてわがままで、例えば共演者のちょっとしたミスも見逃さず細かく指摘して非寛容的であり、指示を出す彼の苛立った声にスタジオ内は極度の緊張感に包まれマネージャーはドリンクを差し入れるタイミングに細心の注意を払う、対してピーター・アースキンはその逆で、共演者のちょっとしたミスに対してもいやそれも君の個性だよ、なんて肩をぽんと叩いてフォローしてくれ、その後自販機前で顔を合わすものならコーヒーまで奢ってくれるという大盤振る舞いだが、先生が実際にこの2名に会ったことはなく、完全なイメージの話だ。
だが実際先生に借りた映像で、デイブ・ウェックルを観ると、筋肉でがっしり太い二の腕にTシャツは黒の無地で、裾は隙間なくぴっちりと巻きついているくせに、開始数分はその筋肉を活かすことなくひたすら繊細な動きばかりを披露する、やはりいやらしい奴なんだと思えてくるが、DVDは一応コピーした。ピーター・アースキンは配偶者が日本人だったが、VHSしかなく、コピーをするためには、わたしの所有物ではデッキを2台繋げる必要があったが、完成したディスクを再生すると半透明の青いラインが2秒おきに画面に横向きにかかり音も乱れ、コピーの際に劣化したのかとしばらく気づかなかったが、どうやらそれはコピーガードのようで、わたしはそんな古いVHSにもガードが施されているのかと驚いた。もちろん検索すればこのガードを外すことはできるだろうが、面倒臭くなって結局ひと通り観た後で、先生に返した。ラストのスタッフロールの部分で子供の写真が映っていたので、あれはなんなのかと先生に尋ねると、あれはピーター・アースキンの子供の頃の写真だと教えてくれた。
わたしたちは、レッスンを終え出入り口のすぐそばの待合で談笑をしていたが、いくつか並べられたスツールはどれも円形で座面は低く、半ばしゃがみ込むような体勢であり、先生の頭上の壁には今度行われるコンテストのポスターが貼られ、賞金は100万円で1と0の文字は金色のグラデーション彩られてこれでもかと強調されていたが、このコンテストに出場するためには、一定のチケットノルマが課せられる。これが売りさばけないと、実費を負担する羽目になることを、以前サワザキさんに教えてもらった。サワザキさんはここの社員で、ここのレッスンを紹介してくれたのもサワザキさんであり、サワザキさんはわたしにコンテストに出ろとは一度も言わなかった。わたしがたとえ仲間と協力しても、チケットの半分も売れないことを、サワザキさんは見抜いていたのだ、ポスターの下のほうには、第1回と第2回の受賞者の写真が載っていたが、彼らのチケットは定価で全て売れたのだろうか?売れなかったとしても、90万円は儲かったのだから関係ないが。
階段を降りてくる複数の音がして、玄関が開き、4名の男女がそれぞれの機材を背負いやってきて、靴を脱ぎ、わたしが携帯を取り出すと9時7分で、9時からの予約なのだろう、サワザキさんは奥からひょっと顔を出し、料金のアナウンスをし、5000円札を受け取り、ポイントカードは先頭の男が持っているらしかったが、財布を漁っても見つからず、じゃああとででいいよということになった。ポイントカードは利用1時間ごとに1ポイント貯まり、30ポイントで1時間無料になるシステムであり、利用者の所有の意思に関わらず、ポイントカードは必ず発行される。紛失しても無料で再発行されるが、その時まで貯めていたポイントはリセットされてしまうが、しかしサワザキさんは、来る人来る人に必ずポイントカードを出してくれとせがむ。30ポイント貯めるには2時間利用する人でも、15回来なければならず、毎週定期的に来ればやがて貯まるだろうが、そんなに熱心に来る者が何人いるのか、だいたいここは、他の場所と比べても取り立てて料金が安いわけでもなくむしろ高めの料金設定なのだ、その代わり機材はいい物を使っているという謳い文句だが、それには別途レンタル料が発生する。
先生が、わたしが払う月謝から一体いくらの給料をもらう契約内容なのかは知らないが、先生はここの経営方針には決して賛同せず好意的な感情を抱いておらず、先生はここの専属の講師をしているわけではなく、夜間の清掃のアルバイトで生計を立てているのだ。
わたしが受けているのは個人向けのレッスンというわけではなく、グループレッスンであり、わたしが受け始めた年にはわたしの他に4名の男性がいたが、いずれもわたしよりも年齢が上であり、結婚しているのもいればそうでないのもいて、九州から引っ越してきて金髪の眉毛のない男もいた。彼は実際にはわたしより1歳年下で、それを予め知っていたのかわたしに対しては最初から敬語を使い、その他の者はタメ口だったが、主に話しかけてくるのはリーダー格の年長者ばかりで、あとはほとんど口を聞かずにやがて辞めていった。わたしは金髪眉毛は、レッスンを始めてから随分後になって年下だと知ったので、今更敬語を改めるのもいやらしく思い、わたしたちはどこかぎこちない関係に終始し、彼の両耳には無数のピアスが取り付けられていた。ピアスは円形のデザインの物ばかりだった、大きさはバラバラで色は黒が多いが、緑もあり、バランスに欠いていた。わたしはすごい数ですねと声をかけようかと何回も思ったが、その度にタイミングを逸し、先生も彼の外見については何も言わず、わたしの知らない音楽の話や、パソコンについて話をしていた。その頃はわたしはまだ先生とはそれほど親しくもなく、自分から話を振ることもほとんどなかった。
わたしは早く他の4名の実力に追いつきたいと思っていたが、2年も経つと全員辞めてしまった。それぞれ理由は違っていたが、両耳ピアスは実家に帰って就職すると話し、実はその時初めて彼が九州地方の出身であることを知り、親の知り合いの建材屋に、来月から勤めることが決まっていた。最後の日にはサワザキさんも待合に出てきて、思い出話をした。サワザキさんはワインレッドのワイシャツに、ストライプのスーツを着てネクタイを少し緩め、どうやらわたしと同じように、両耳ピアスもサワザキさんとはそれなりに付き合いが長いようだ。わたしは両耳ピアスの実家についてのエピソードだとか、シラス台地とは実際どんな物なのかは上の空で、わたしは両耳ピアスに自分を当てはめ、自分がここを去る時のことを考えていた。最後のレッスンはどんなことをやるのだろう?とか。両耳ピアスは自分の癖について指摘を受け、道具に頼るな的なことを言われていた。サワザキさんは煙草に火をつけながら、仕事内容について質問をし、ピアスが答えると、先生はそりゃキツいよと上半身を仰け反らせ、自分がかつて一日だけ会社組織に所属した時の話を語ったが、サワザキさんの今の仕事もかなりの激務であることを、みんななんとなく知っている。
そのうちに両耳ピアスはわたしに向かって、以前同じステージに立ったことがある、と言ってきたが、わたしはまるで覚えておらず、大雑把な日時と場所と真冬で新宿駅からの距離が結構あったこと、客席が縦長の独特の形だと教えてくれたが、それでも思い出せなかったが、あああの時のと話を合わせた。

4人の男女がわたしと先生のあいだを断ち切るようにして抜けて行ったのは、わたしたちがドアの左右に位置して向かい合っているせいで、特に4名が無遠慮というわけではない、わたしたちもそれはわかっていたので玄関が開いた時点で会話は中断して黙って天井などを見て、わたしも先生も煙草を吸わないのに蛍光灯の周りは白く靄がかっていた。玄関に目をやると下駄箱の上には様々な団体のチラシが束で置かれ、それは無断で持って行っていいルールで、作成者もそれを望んでいる。壁には罫線の引かれたホワイトボードがかけられ、所々に消し損なって残った黒マジックの切れ端が点在し、だがわたしが知る限り、このホワイトボードに氏名や曲名が並べられたのは、1年以上も前の話だ。
先頭の男は我々に軽く頭を下げ、3人目のみが女で女はスリッパを履かず、おかげで足音がしない靴下は紺色で、赤い刺繍で筆記体のKのワンポイントが入り、全身には高校制服を着ている。制服は白いワイシャツに膝上のスカートというシンプルだったが、わたしはなんとなく私立高校の生徒ではないかと判断したが、顔面には化粧が施されている。それ以外の男はどう見ても20代後半から30代の七分袖やダメージジーンズ、ジャージという姿で、全員が痩せている、女だけは浅黒い太ももがやや太く、わたしはその太ももを見ているうちにドアは閉められたが、これからこのドアの向こうで行われるのは実は性行為で、その様子はビデオカメラで撮影され、後で共有サイトに上げられ、視聴者のコメントが下向きにどんどん付け加えられて行く。ビデオカメラと言えば、防犯用に室内にも備え付けられているが、それはダミーであるとサワザキさんはある時言った。
4名がいなくなって、わたしは今の性行為についての考察を先生に話そうかと迷ったが、先生がその類の話を好むのか知らないので黙っていたら、そのうち先生は腰を浮かせて帰ろうと言い、車で帰って行った。
「お疲れ様」
「お疲れしたー」
わたしの車はそのすぐ隣に停まっていて、狭い駐車場だった。

スリッパを履かなかった女がパ南子という名前を保持していたのは、彼女が他のクラスのレッスンを受けていたせいでわかった。その時は珍しく、全クラス合同で打ち上げをやろうということになり、しかし前持って計画していたわけでもないのであまり人は集まらず、サワザキさんもまっすぐ会社に戻り、参加者全員はカラオケ店の一室に収まり、全部で11名だった。わたしは参加する気がなかったが、先生が行くというのでついて行き、先生はわたしを強く誘ったわけではないが、実はわたしが参加に興味を持っていたのは、パ南子がいたせいでもあった。パ南子は以前と同じ高校制服を着用していてそのままステージに立ち、地味な分かえって客席の目を引いたが、わたしは乾杯の後のパ南子の会話に耳を済ませていると、パ南子は実は25歳の事務員で、高校制服はインターネットで購入した完全な趣味のコスプレであることを知った。改めて見ると化粧は濃いし、大皿をテーブルから下げる動作も、手際良く各指の骨が手の甲に浮き上がり、10代のそれではない。その時テーブルは2卓あり、つなげてひとつとしていたが微妙に高さが違い、生じた隙間からストローが1本落ちたが、わたしも含めて誰にも気づかれないまま放置され、料理はポテトチップスと唐揚げとフライドポテト、焼きそばとエビチリとサラダがあり、先生はパ南子に取り分けてもらった焼きそばを旨そうに食べていた。わたしは先生が食事をするところをその時初めて見たが、先生は右利きだったが、箸の持ち方が独特で、旨そうに見えるのはそのせいだった。先生は対角線上の女講師から何か歌うように依頼され、収録曲の冊子を渡そうとしたが、先生は箸を振ってそれを断り、焼きそばはまだ口の中にあった。
部屋の中の壁紙は白くて明るく縦向きの模様が入り、パ南子は先生の隣に座り、確定申告について質問をしているところだった。わたしはその時はもう会社員だったので、その話に加わることができず、源泉徴収で無理に話に割り込んでもシラケるだけだった。かと言って他に話す相手もいなかったので、勝手に番組の流れるモニターを眺めながら、誰かの笑い声に合わせて笑ったりした。モニターの中の若い女集団が、自分たちの歌が季節にぴったりのダンスナンバーであると説明をし、集団の全員が喋るわけではなかった。わたしたちの中には曲を選んで歌い出す人はまだおらず、先生は確定申告は絶対郵送する派であり、受付で数字をチェックされる時の空気が耐えられないとの理由だった。パ南子は万が一届かなかったことを思うと不安じゃないのかと尋ねたが、先生はそういう心配をするタイプではなく、それは税務署の責任だから仕方ないと答えた。収支報告書に書く数字も真実よりも真実性を重視し、大切なのは目立たない数字を創作することだが、税務署員にとって、一体何が"目立たない"になるのかははっきりしない。パ南子は派遣で働きながら、たまにステージにも立つので参考にしていたが、パ南子は領収書はきちんと保管しておくタイプであった。
それから中年男の生徒が中森明菜を歌い出し、会話を継続させるためにパ南子は顔を近づけて、わたしと先生に、わたしたちのレッスンについて質問をし、先生はわたしを最後の生徒と紹介した。事実もうレッスンを受けているのはわたし一人であったが、生徒の募集は随時行われていたし、先生が辞める話も聞いていない。わたしはひょっとしたら、先生はもうすぐ癌で死ぬのではないかと推測し、そうしたら本心で葬式には参列したい気持ちが湧き、しかし先生の実家がどこにあるのかは知らず飛行機で行くのはしんどい気がする。それは体力的な問題とかではなく、単にわたしが飛行機のチケットを予約方法がわからず億劫な話であった。

一昨年の夏に学生時代のバイト先の店長が死に、事故ではなく病気だったが、わたしはそこへ5年も勤めていたから、もう既に店自体は潰れ、今はコインランドリーになっている、その時も本心でお通夜に参列したい気持ちであったが、仕事の出張と重なり行けなかった。出張と言えば聞こえはいいが実際はただの接待旅行で、わたしは帰りのサービスエリアの男トイレで小便をすると、不自然なほど色が濃く、その時に店長の体は焼かれた。後日線香だけでもと思い、実際お母さんには香典を出すタイミング等についてレクチャーを受けたが、結局訪ねることなく現在に至る。礼服の内ポケットには今でも香典袋と折り目をつけた5千円札が存在する。

するとパ南子はそれじゃあ自分が先生のレッスンを受けるようにしたらどうかと提案し、それは先生の言葉に憐みを感じた故の発言に思えたが、目は割とマジだった、その時パ南子はサワーをジョッキで飲んでいたが、高校制服を着ながらアルコールを摂るなんて異様な感じがしたが、酔いが回ったせいか両膝の間隔は拳大くらいに開き化粧も崩れかけていた、先生は下戸なのでウーロン茶を飲んでいた。先生は年齢性別問わず、誰に対しても同じ語り口で話すので、わたしは好感を抱いた。

その後わたしと先生はパ南子とメールアドレスを交換し、わたしは先生に遠慮してあまり熱心にパ南子を口説かなかったが半年経っても何も起こらないので、わたしはパ南子をドライブに誘い、パ南子はわたしの住んでいる自治体の川向こうに住んでいたので、20分ほどでパ南子の家についた。パ南子の家のそばには女子校があり、そこはわたしの妹が以前出身校だったので、それを伝えるとパ南子は、
「そうなんだ」
と答えた。
わたしはパ南子と山の中の夜景を見に行く約束をしており、1時間くらいの道中で、考えてみると先生とパ南子が付き合うのではないかと勘ぐっていた自分が、とても笑えてきた。先生はどこか浮世離れした部分があり、もちろん交際相手がいるのかもしれなかったが結婚はしていない。そういう話をしたことはないので、もしかしたら配偶者がいるのかもしれなかったが、だがそれはわたしの想像のつかない、かなり独特の夫婦生活になっていたと思う。先生は国民年金を払っておらず、動けなかったら死ぬ旨を以前宣言していた。
わたしは試しにパ南子に、先生はあと6ヶ月で死ぬ癌であると嘘をついてみたが、すぐに見抜かれ、暗い車内で発声する先生という単語は、いかにもわざとらしくて興ざめしかけた。既に街灯もない片道一車線の道でオレンジ色のセンターラインは所々剥げかけ、遠い向こうの交差点にはファミリーマートの照明が灯台のようだったので、そこで水を買うことにした。パ南子はさすがに今日は高校制服を着ておらず、白いスカートを履いていたが、Kの刺繍靴下は履いていた。最初の印象では太くて黒い足という印象だったが、レジ前に立つ後ろ姿は色白の部類であり、パ南子は水の他に梅干しを買った。車に戻ってから、靴下について質問をすると、Kは関越自動車道のKであり、自分の好きな道路であることを教えてくれた。
その日とその後も、わたしは何度か性行為に至るような誘いをかけてみたが、パ南子が応じてくることはなく、何度目かの車内で、パ南子は性同一性障害の女であり、身体は男であるという状態であった。わたしは性同一性障害という意味合いは理解していたが、それがどの程度の理解なのかは想像がつかず、かつて金八先生というドラマでも性同一性障害の人が出ていた。"からだは男"と軽はずみに言ってもいいのかもよくわからないので、性別が合っていない、みたいな言葉で表現をしたのでかえってぎこちなかったのかもしれないが、たとえそうだとしても、わたしたちの今後の関係には大した影響もないようなことをわたしは宣言したが、頭の中では例えば養子はどこで譲り受けることができるのか?みたいな質問が展開されていたが、差し当たって子供が欲しいわけではない。パ南子の家のすぐそばには新幹線の陸橋が走り、その橋桁の下でのカミングアウトであったが、そこは舗装がされていない石が日光を反射し、合間には無数の草が生え、無数の草はそれぞれが独立して風に揺れていた。まだ区画整理の行われていない地域であり、今車を停めている道端も、1車線なのか2車線なのかはっきりせず、1車線だとしたらだいぶ広かった。わたしは単一の草に注目はせずに、できるだけ視界を広げて多数の草の動きを同時進行で目で追おうとしていた。やがてパ南子は降りた。

ある時わたしはパ南子と一緒に関越自動車道に乗り、群馬県のとあるサービスエリアの駐車場に車を停めると、パ南子がトイレに行っている隙に車に戻り、シフトレバーをドライブに入れパ南子をそのまま置いて帰ったが、実際にはそこは関越自動車道ではなく、上信越自動車道であった。
家に帰るまで気づかなかったが、助手席のカーペットの上にはパ南子の靴が残されており、それは高校生が履くような黒い革靴でつま先には無数の細かい傷があったのでぎょっとした。わたしは靴下もKの刺繍入りだったかを思い出そうとしたが、そこまでは注目していなかった。