意味をあたえる

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菜根子について

真城菜根子はずんぐりした体型で、髪はショートカットで黒く、かけているメガネのフレームと全く同じ色をしていた。目はひと重でまぶたは腫れぼったく、目は切れ長で細い。鼻もつぶれたような形をしている。顔も下ぶくれだった。化粧っ気はあまりなく、眉毛も太かった。指も短い。
格好もあまり目を引くものではなかった。冬は紺のPコートを羽織って灰色のマフラーを巻き、夏は横縞のポロシャツを着ていた。下は大抵ジーンズを履いていて、太ももの部分はむちむちしていた。
由真子と菜根子は同じ高校の同じクラスだった。大して親しくもなかったが、同じ大学を受験することとなり、高3の後半から仲良くなった。お互いが無事に合格すると、当然のように同じゼミに所属し、時間割もほとんど同じにした。サークルも同じ所に入った。
由真子も目を見張るような美人ではなかったが、目は二重でぱっちりしていて肌も白く、小柄で痩せていた。積極的に我を通すタイプではなかったが、その分人の話を聞くのがうまかった。大学に入ると、服装に気を配り、髪も茶色く染めた。1年生の夏休みには、サークルの旅行で、メールアドレスを聞いてきた男に、帰ってきてから口説かれ、付き合う事になった。
夏休み空けの金融論の授業の後、4時限目の哲学概論の教室へ向かう道すがら、由真子が菜根子に、彼氏ができた事を伝えた。菜根子は「うわあ。良かったね。おめでとう」と言った。そして、いいなー、私も彼氏欲しいなあ、と言った。由真子は、菜根ちゃんだって彼氏すぐできるよ、と言って菜根子の方を見た。菜根子の黄色いポロシャツの群青のボーダー部分はおへその辺りでその間隔が大きく開いていた。菜根子は「私みたいなブスな女に彼氏なんてできるわけないじゃん、どうせ私は一生独身だよ」と言った。由真子はそんなことないよ、と言った。

由真子が付き合ったのは1学年上の先輩で、やたらとセックスばかりしたがる男だった。頭の中は全くの空っぽで、単位も満足に取れず、留年もしていた。親は酒屋を経営していて、息子にトヨタエスティマを新車で買ってあげてたりした。先輩はその車の後部座席のリクライニングを倒してするセックスが好きらしく、デートをした帰りは、どこでするのか、よくうろうろした。カーセックスが好き、というよりも、単にホテル代をケチっていただけなのかもしれない。

冬になると先輩の同級生は髪を黒く染め、青い顔をしながら就職活動に奔走していた。いつまでも金髪でへらへらしているのは先輩だけだった。由真子はそういう先輩の態度が我慢ならなかった。もちろん、留年している先輩はまだ就職活動する必要はない。だからと言ってあまりにあっけらかんとしているように由真子は感じていた。先輩はたまに「俺、このままでいいのかな」と言う時もあったが、由真子にはとても心の底から出た言葉には感じなかった。

由真子はこうした先輩のアホな性格について何度か菜根子に相談した。菜根子はそれなりにアドバイスをしてくれたが、結局は「由真ちゃんは彼氏がいるんだから、まだいいじゃない」という決まり文句に落ち着くので、由真子としては全く腑に落ちなかった。
それなら別の人に相談すればいいのだが、由真子にはそれができる相手がいなかった。年中菜根子と一緒にいたために、サークル内でもゼミでも、周りからはセットで扱われ、そこに割り込もうとする人間はいなかった。由真子は、菜根子の容姿は仕方がないにしても、この性格はもう少しどうにかならないかと、悩んだ。菜根子はちょっとしたことでもすぐに落ち込み、またそれを長く引きずる性格だった。出席カードに学籍番号を書き間違えたとかで大騒ぎしたり、試験の後は毎回真っ青な顔で、これ落とした、と落ち込み、由真子が慰めると必ず「由真ちゃんは顔もかわいいし、頭もいいからいいよね」と言われた。

由真子は何度も菜根子と距離をとる事を考えた。菜根子の性格については何度か遠回しに改善を求めたが、全く効果はなかった。菜根子のせいで大学生活がちっとも盛り上がらない、と思いつめた事もあった。しかし、よく考えると、由真子には菜根子以外に、一緒に学食へ行く相手も、ノートを見せてもらう相手もいなかった。
一方で菜根子はそうではなかった。菜根子はディルアングレイ、ピエロ、と言ったビジュアル系バンドが好きで、たまに知り合いの中に同じ趣味の人間がいたりすると、ツバを飛ばしながら喋りまくった。そんな時由真子は必ず存在を忘れられ、ふと思い出した菜根子に「帰っていいよ」と素っ気なく言われるのであった。由真子も最初のうちはかっとなったが、そのうちに自分から菜根子に別れを告げて帰るようになった。菜根子はそういう風に仲良くなった人と、何度かライブも観に行っていた。

由真子は3年になるとすぐに、先輩と別れた。別れ話を切り出したのは先輩の方だった。「由真子と話してても楽しくないんだよね」と先輩は言った。由真子は先輩の人間性につくづくうんざりしていたが、いざ別れを切り出されると、とてつもない虚無感に襲われた。食欲がなくなり、じっとしているとそれまでの事を思い出したり、何がきっかけで先輩は別れを決心したのかを考えたりしてしまうので、意味もなく歩き回ったりした。
菜根子にはすぐに伝えた。伝えるのは気が進まなかったが、どちらにしろ、知られるのは時間の問題だったし、そうなった時に、嫉妬に狂う菜根子を想像するとうんざりした。菜根子は慰めてくれたが、案の定「由真ちゃんは私なんかと違って、かわいいからすぐに次の彼氏ができるよ。だからそんなに落ち込むことないよ」と的外れなアドバイスをした。

それから半年ほど過ぎ、肌寒い季節になると、菜根子が彼氏ができたと言ってきた。菜根子は夏頃から出会い系サイトを始め、そこで知り合った男らしかった。最初はメールのやり取りから始め、3日くらい経つと、電話番号を聞いてきて、毎晩電話してきた。ひと月ほど経って会おうということになり、居酒屋で飲んだ帰りにはもう付き合うということになっていた。ぜひ由真子にも会ってもらいたい、と菜根子は弾んだ声で言った。そう言われてみると菜根子の顔は以前より明るくなっていた。由真子は「おめでとう」と言った。そして「自分には一生彼氏できない、て言ってたけど出来たじゃん」と軽く嫌味を言った。菜根子は全く気にせず、にやにやしながら、うん、と答えた。

次の土曜日に駅前の魚民で、三人で飲み会をすることになった。特に予約もしなかったので、7時くらいに駅を出てすぐのところにあるファミリーマートで落ち合うことになった。由真子は10分前に着いたが菜根子はまだ来ていなかった。レジのところにいる店員は由真子と同い年くらいの男女で、電子レンジに寄りかかりながら、おしゃべりをしていた。耳を傾けると、同じバイト仲間の中に酷いワキガの男がいて、寒くなってきた今頃も側に寄ると臭ってくるとのことだった。
一通り店内を物色しても菜根子は来ないので、由真子は雑誌コーナーに行って立ち読みをしようとした。雑誌コーナーには、学ランを着た男子高生が2人と、スーツを着た男が1人、それと黒いウィンドブレーカーを着て真っ赤な顔をした酔っ払いの中年男がいた。菜根子の話では相手は25歳のサラリーマンということなので、スーツの男がその菜根子の彼氏である可能性があった。由真子はスーツの男の隣に立って、ノンノを立ち読みするふりをしながらその男を盗み見た。男は痩せ型で背が高く、色黒で高そうな腕時計をはめて、ヤングマガジンを読んでいた。髪は短くカットされ、表情は幾分暗かったが、大きく見開かれた目は魅力的だった。由真子は一通り相手の外見を物色し終わると、ノンノに目を戻したが、開かれた占いのページの内容は全く頭に入ってこなかった。
やがて菜根子が姿を現した。菜根子は由真子を確認すると小走りで来た。いつもどおりのPコートにジーンズの出で立ちで、茶色いブーツを履いていた。耳にはシルバーの十字架を象ったピアスをつけていた。由真子の記憶では菜根子はピアスの穴を開けていないはずだった。菜根子の態度で、ヤングマガジンを立ち読みしている男が菜根子の彼氏でないことがわかった。菜根子は早口で寒いとかお腹空いたとか言っていたが、その他は何を言っているのか聞き取れなかった。
その時自動扉が開き、ひとりの男が入ってきた。菜根子は「あ、スズキ君」と声を上げた。由真子が見るとそこには頬のふっくらした男が立っていた。男はジーンズに茶色いトレーナーを着て、その上に黒いフリースを羽織っていた。顎の肉が厚く、真っ黒の髪はぼさぼさに乱れていた。腕には安っぽいデジタルの腕時計がはめられていた。男は軽く息が切れふーふー言いながら、お待たせしました、と言った。壁にかかった時計を見るとちょうど7時を指していた。
由真子は自分の心がすっと軽くなるのを感じた。