意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

ワームホール(1)

わたしが発見されたのはお母さんのアパートで、その時お母さんは18歳で、アルバイトをしながら、美容師になるための専門学校へ通っていた。その日は日曜日で家にいて、お昼前に起きて、たまった洗濯物を洗濯機に突っ込んでから部屋に掃除機をかけ、それがひと段落したところで空腹を覚えたので、パスタでも茹でようと鍋を火にかけた。半分残って輪ゴムで止めてある乾麺を取り出そうと、戸棚の引き出しに手をかけたところで、物音に気づいた。見ると部屋の真ん中に赤ん坊がいる。わたしは放置してあった掃除機のコードを右手で掴み、左手でおしゃぶりをしていたという。完全に素っ裸だったので、女の子であることがわかった。とりあえず泣いてはいなくて、ちゅぱちゅぱ音を立てながら天井を眺めていた。
お母さんはそれが人間の乳児だということはすぐに認識できたが、状況が飲み込めず一歩も動けなくて、とりあえずさっきまで芸能ニュースを見ていた携帯で実家に電話した。対応した母親は案の定まともに取り合わず、そのうち口論となった。夢中になって喋っているうちに、わたしを蹴飛ばせるくらいの距離まで近づいた。「だって、現に目の前にいるんだから」そう言ってお母さんはしゃがんでわたしの横腹の肋骨を手でつついた。幽霊であることを完全否定したかったのだ。だが、その途端わたしは大声で泣きだし、お母さんは後ろにのけぞって尻もちをついてしまたった。母親が何か声を上げたが、その時はもう携帯は手の中にはなかった。

タイムパラドクス孤児はその頃には一般にも認知されていたので、警察に通報すると1番にその可能性が疑われた。今や子どもの失踪と言えば、誘拐よりもパラドクスの方が多いのである。すぐに専門家の集団がやってきて、わたしの体とわたしが現れた部屋が丹念に調べられた。お母さんもくたくたになるまでわたしが現れた時の様子とか、同じことを何度も説明させられた。
やがてわたしは寝返りがうてるようになる直前の生後5、6ヶ月の乳児だということがわかり、全身にアザがあり、左腕の骨にはひびが入っていた。お母さんの自作自演で、単に虐待を隠そうとしていることも疑われたが、お母さんに子宮がないことから、それは早い段階で否定された。
やがて遺伝子鑑定で、わたしと親子であることもわかった。お母さんは子供なんか産めないのに、そういうことになっちゃうのはめちゃくちゃだけど、パラドクスだからなんでもありなのだ。報告をした細身で頭の禿げた研究員は、事実を並べるだけで「大変ですねぇ」みたいな人間味を見せてこちらに擦り寄ることはなかった。資料を取り出して、この子供と戸籍上も親子になって一緒に暮らすか、孤児として施設に預けるかは自由に選べる、と事務的に説明するだけだ。突然現れた子供といきなり親子として暮らせるかどうかはケースバイケースで、ならない場合でもきちんとした施設に預けられることになっているらしい。
お母さんは当たり前のようにわたしと親子になることを選んだ。そして学校をやめて、実家に帰りそのまま今に至る。