意味をあたえる

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ワームホール(2)

およそ30年前、とある物理学者がワームホールについての論文を発表し、ある一定の条件を満たせば、地球上でもワームホールが発生することを予言した。”一定の条件”はそこまで容易に揃えられるものではなかったが、すぐに複数の研究機関が飛びつき、程なく人工のワームホールの発生に成功した。このニュースは一斉に世界中に広まり、ニュースキャスターや新聞が「ワームホールをくぐればタイムトラベルが可能」と大々的に報じられた。日本でも丸の内のサラリーマンが「いつの時代へ行ってみたいですか?」の問いに大真面目に答える光景が、夕方のテレビ番組に流れた。
けれど実際学者達が作り出した「穴」はかなり微小なもので、人なんかとても通れはしない。実験用のラットとかそういうレベルではなく、10のマイナス何乗とかの素粒子規模の話だ。タイムトラベルなんて夢のまた夢、と人々の熱は一気に冷めたが、研究者たちはそんなことに構うことなく、その小さな小さな穴に、光とかニュートリノとか、色んなものを突っ込んで、貴重なデータを収集していった。

研究者たちがもっとも興味を持ったのは、やはりタイムパラドクスについてだった。簡単に言うと映画「バックトゥザフューチャー」みたいに過去に行って、親の結婚を阻止した場合、子である自分の存在は消えるのか、という疑問だ。あの映画では、主人公の体は消えかけるが、つまりそれは書き換わった過去に対応して、現在もそれに合わせようと働きかけるからである。
小さな穴を通るだけでも、バタフライ効果みたいに世界全体に影響を及ぼす可能性だって十分にあるから、実験は極めて慎重かつ限定的に行われた。そうして数ヶ月間様々な実験と観測が行われ、ひとつの結論が下された。タイムパラドクスは存在しない。過去においていくつかの物質を破壊したが、それらは現在においても消える事なくは存在し続けたのである。つまり破壊された時点で別世界へ枝分かれしたのか、あるいは観測している過去そのものが、私達の住む世界とは別のものなのかもしれない。学者たちは早速パラレルワールドに関しての仮説をどんどん立て始め、タイムパラドクスは古いSFの象徴として扱われるようになった。

ところが。
それと並行して世界中では、ある異変が起きていた。かなりの数の乳幼児が突然行方不明になったり、逆に捨てられる事件が起きたのである。これらは単発で起きれば大した事件にはならないが、全世界で同時多発的に発生したので大騒ぎになった。各国の警察は、この不自然すぎる現象に、何かしらの大きな意図があると疑い、国同士で連携を取りながら、大規模な捜査を行った。新興宗教や、テロ、これだけの規模なら、インターネットは使われているだろう。模倣犯の数も相当数あるに違いない。しかしいくら調べても、有力な手がかりどころか、犯人の足取りすら掴めない。子供達は本当に消えるようにいなくなり、また、何の脈絡もなく現れた。いなくなった子供は、死体も出てこない。さらに身元不明の子供の親も全く見つからない。
現実離れしたスケールの乳幼児の異常事態は、親達を不安のどん底に落とした。謎の犯人に連れ去られるならと出産を諦める夫婦が激増し、世界的に出生率が下がった。また、水子霊の仕業だと、詐欺まがいの霊感商法が大流行した。
そうした中、次第にこれらの異常は、ワームホールが関係してるのではないかと疑われるようになった。その頃には、産婦人科の保育器から数人まとめて乳児が消えたり、人が容易には入れないような場所から幼児の死体が発見されたりと、いよいよ超常現象のような色味を帯びてきていた。もはや打つ手のなくなった各国首脳は、藁にもすがる思いで、ワームホール研究の中止を求めた。
結果として、どうやらタイムパラドクスは、ある年齢以下の人間には影響を及ぼすらしい。一時的にワームホールを閉じてみると、確かに翌年から事件の数は激減した。乳幼児とワームホールには何らかの関係があるのだ。そうなると、出現した乳児の体や脳みそを調べたり、カウンセリングや催眠を施して、なんとかパラドクスの痕跡を見つけたい。しかし、際立った変化は見られず、ある程度成長した状態で見つかった子供でも、自分の親の顔すら覚えていなった。