意味をあたえる

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ワームホール(3)

わたしがタイムパラドクス孤児であることを教えられたのは、小学校の卒業式から2日経った後だった。お母さんとしては特にこの日に教えるとか決めていたわけではなく、なんとなく話の流れから打ち明ける形になったみたいだ。それまでわたしはいわゆる普通の母子家庭として育ってきたので、父親がそもそも存在しないという事実にまずショックを受けた。それまでは離婚してどこかで生きているだろうみたいな設定だったので、わたしなりに気を遣ってあまり突っ込んで聞かないようにしていた。それが根底から崩れてしまったのだ。だが一方で、これは友達に気楽に話せる内容なのか、とか現実的なことを考えたりした。今でもタイムパラドクス孤児は、たまにテレビで取り上げられたりするので、ちょっとした有名人になった気がした。

だが、この件でお母さんは研究員にこっぴどく怒られてしまった。本当は本人に孤児であることを打ち明けるタイミングも、事前に相談しなければならなかったらしい。わたしは症状は出ないけれども生まれつき脳の一部に疾患があり、そのため定期的に病院へ行っていたのだが、それも結局のところ、タイムパラドクス孤児の成長過程を調査したいだけだったようだ。学会では相変わらずワームホールと孤児の関係について意見が乱立し、どれも自分の仮説を裏付けるデータの収集に必死だった。私の脳波やカウンセリングの受け答えも、彼らを一喜一憂させたのかもしれない。今ではワームホールは完全に閉じられ、全ての実験は中止されている。学者たちは孤児の発生になんらかの法則性を見出して、実験を再開させたいのだ。そのためにまず、孤児たちと普通の子供の差異が必要だ。あるいはこちらへ出現する前の記憶だ。わたしは記憶障害と騙されて、何度も生まれてから最初の記憶について聞かれた。様々な質問をされたり絵を書かされたり、おそらく催眠をかけられたこともあるだろう。けれど期待していたものは何も得られなかったに違いない。全てのタイムパラドクス孤児は、記憶を持たずに世界を行ったり来たりしている。言い換えれば、記憶を持ってしまった人間は、ワームホールを通ることができないのだ。