意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

ワームホール(5)

わたしはセックスなんてしたことないし、実はどういう行為なのかもうっすらとしか知らない。友達に経験した人はまだいなくて、隣のクラスの山本さんが、家庭教師の大学生とカーセックスをしたというのを聞いたくらいだ。山本さんと言われても、顔も知らないのでリアリティゼロだ。つまり、わたしとセックスの距離はそんな感じなのだ。わたしは少しのどかすぎるのかもしれない。
実際性欲というものもよくわからない。仲良しのしーちゃんは、片思いしてる野球部の高瀬くんの事を考えると濡れると言った。えーそれやばいじゃんみたいな返事をしてその場は合わせるけど、あーちゃんはどう?とか聞かれたらどうしようかと、内心ひやひやしている。だから、そっち系の話になると、ていうか英語の清田って絶対ヅラだよね、みたいな話をしてごまかす。
溝川の太い腕を思い浮かべる時、わたしは濡れているのだろうか。イマイチわからない。前に友達とレディース系の雑誌を読んだ時は「店長に下着を脱がされると、もうアタシのあそこはぐちょぐちょだった」なんて書いてあって大騒ぎしたけど、溝川にされたらわたしもそうなってしまうのだろうか。でもそういう事を考えると、自分が孤児であることを思い出して、泣きそうになる。わたしはお母さんの産道を通ってこの世に出てきたわけではない。だから、もしかしたらセックスとかそういうことが普通の子と同じようにできないのかもしれない。それは他の孤児も同じだけど、わたしの場合はお母さんに子宮そのものがなくて、産道は閉じられている。他の孤児は万が一の計算違いで本当はちゃんとした手続きで生まれた可能性も残されているが、わたしは100%ありえないのだ。もしかしたら、わけのわからない穴を通ってこの世にやって来たのは、本当は世界でわたしだけなのかもしれない。わたしの寂しさを紛らわせて自殺を防ぐために、世界に1000万人なんて嘘をでっち上げたのかもしれない。
わたしはたまにお母さんの立場になって考える。お母さんは丁度今のわたしくらいの歳の時に、癌になって子供を産めなくなった。それなのに突然わたしが現れて、遺伝子的にはあなたの子、と言われて、どんな気がしたのだろう。よく一緒に暮らすと言ったと思う。お母さんは、美容師になることは諦めて今は実家にいるけど、5年前におじいちゃんが死んで、生活は苦しいはずだ。お母さんは惨めじゃないだろうか。わたしを引き取ると決めた自分を憎んでいないだろうか。

ちなみにタイムパラドクス孤児が大量発生した頃、世界中のお金持ちがこの現実を嘆き、大規模な基金が設立された。孤児を引き取った里親には、そこから毎月補助金が支払われる。その事を知った時、わたしはものすごくほっとした。
わたしは2年になるとすぐに溝川のメアドをゲットして、毎日大量のメールを送りつけようになった。教師とアドレス交換なんて、いけない行為なのだろうか。でもそんな校則はない。私はわざわざ生徒手帳を開いて確かめたのだ。あるのは後ろめたさだけだ。ただその後ろめたさが心地よくて、同時に多分他に溝川とメールしてる子はいないので、わたしはついテンションが上がってしまう。わたしは悲劇の申し子ぶって、溝川に色んな話をする。
もしかしたら、子供とか産めないかもしれない。ある時そんなことを書いて送ったら「大丈夫。孤児でも子供産んだ人いるから」みたいな返事がきた。それが気に食わなくて「わたしはその辺の孤児とは違う。わたしのお母さんは処女だ。生まれるはずのない子供なんだ。そんなわたしがまともに出産とか、恋愛とか、そういうことできるわけない」と猛スピードで書いて返信した。最後に「先生はバカだ。なんにもわかっていない」と付け加えた。
先生はそれっきり返事をよこさなかった。5分、10分と時間が過ぎて行く中で、最初は先生が何によって手が離せなくなったのかについて思いを巡らせた。職員会議が始まったとか、脳みそが空っぽの保護者から電話がかかってきて怒られてるとか。もし怒られてるなら、少しは優しくしてあげよう。けれど、夜になってもメールはこなくて、わたしは自分の送信メールを読み返して、いくつかの誤字を見つけながら、どこかまずい箇所でもあったのかと考えてみる。もしかしたら思ったよりも重い話に受け止めて、どう返信すべきなのか悩んでいるのかもしれない。だとしたら見当違いだ。「ばーか」とか送って、自分が単に構ってほしいだけなんだとアピールした方がいいのかもしれない。でも、本当にそうなのかわからないし、単にわたしがうざいだけという可能性だってある。それなら続けて送るのは傷口を広げるだけだ。

結局わけがわかんなくなって、携帯を放り投げてベットに寝転んで天井の壁紙のシュールな模様を眺めてみるが、10秒で飽きる。投げた携帯を拾って、半ば無意識の動作でメールをセンターに問い合わせてみる。当然来てるわけもなく、大げさにため息なんかついてみる。バカみたいとか思う。そのうちご飯の時間だよ、て呼ばれて、お風呂に入っていつもより早い時間に寝てしまう。先生にはきっと彼女がいて、今はその人とご飯を食べてて、多分この後ラブホテルにでも行くのだ。単なる妄想だけど、そう決めつけてしまうといくらか心が楽になる。わたしはもう大人なんだから、こうやって自分の気持ちくらいコントロールできる。とか言いながら、携帯は充電を満タンにして、枕元にスタンバイさせておく。わたしはおめでたい女なのだ。

でも溝川先生がその夜に考えていたのは全く別の事で、わたしを教祖として、新興宗教を立ち上げる事だった。わたしのお母さんが処女と聞いて、ぴんと来たらしい。次の日の朝学校へ行くと、玄関で待ち伏せされた先生に準備室に連れ込まれ、わたしが現在に蘇ったキリストなんだと教えられた。これからインターネットを使って信徒を増やして行くんだとノートパソコンを開いて見せてくれた。真っ黒な画面の真ん中に十字架があって、裸の女がはりつけにされていた。徹夜でこのページを作ったらしい。その時になってようやく気づいたが、今朝の先生は眼鏡をかけていなかった。むき出しの目は血走っている。

先生がこの宗教をただのお金儲けで始めたのか、本当にイっちゃったのかがわかるのは、結構後になってからだった。

〈了〉