意味をあたえる

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十字路(4)

連絡があったのは面接から三ヶ月ほど経ってからだった。着信の表示を見て、話の内容が予想できたが、実際出てみると「来週から来い」と唐突な上に、態度も横柄だった。声から判断するに、例の眼鏡の小太りのようだ。恐らく私がここで断っても代わりはいくらでもいるのだろうということが、言葉の端からひしひしと伝わってきた。
新しく生徒が入ったため、今回声がかかったとのことだったが、相手は中学三年の男子、つまり受験生だった。季節はすでに梅雨に入っていて、この時期から塾に行き出すのも手遅れな気もしたが、分相応にこの子の志望校は隣町のCランクの高校だった。
早速次の週の火曜日から授業を始めたが、特にやり方等があるわけでもなく、ひたすら問題集を解かせて90分の授業を消費させていった。兼山からは、とりあえず中間試験の成績が上がるようにやれ、と指示されただけだった。ちなみに兼山とは私を面接した小太り眼鏡である。面接の時には気づかなかったが、この男は塾の経営者だった。ベンツを乗り回し、右の小指には金の指輪をはめていた。私の出勤初日には、6時には来たが、普段は8時以降に顔を見せるのが通例だった。鍵開けその他の雑用は陰鬱そうな顔をした女の事務員が行う。私の授業は8時半に終わり、そのあと日報を書いても、最後まで兼山の顔を見ないで帰ることもよくあった。最初の頃こそ、兼山に挨拶をしないで帰るのはなんだか気が引けたが、数回授業をするうちにむしろ顔を合わさないよう、手早く報告書を仕上げるようになった。兼山は私の生徒のことをお荷物のように考えていて、私が授業内容を報告する度に「まああの程度の成績じゃな」と完全に見放したようなことを言った。もちろんそんなことを言えるのは彼の志望校がCランクだからで、このままの成績でも普通に試験に受かるからであった。目標は初めから低く設定されているので、兼山も言うべきことはないのである。私がやることは定期テストの成績を少しでも上げて、見栄えを良くすることであった。大して難しいことでもない。やるべきことがわかれば、あとはそれを少しでも効率よく遂行していくのみである。よって私はなるべく兼山と顔を合わさないよう、手早く報告書を書き上げることに全力を注いだ。アルバイトとして対価が発生するのは、授業の部分だけであり、そのあといくら兼山と話をしても、賃金は発生しないからである。
マンツーマンということなので、教室内は仕切りで細かく区切られ、ひと区画は人間2人が座るスペースしかない。特に席が決まっているわけではなく、その時に空いている所を選んで授業を始めた。12~3ある席はほぼ埋まっていた。講師の男女比はほぼ半々で、ほとんどが大学生と思われた。それ以外も20代に見えたが、中に2人ほどかなり歳の行った中年の講師がいた。どちらも男で、授業もやたらと声が大きかった。生徒にずっと説教しているようにも見える。余程出来の悪い生徒なのかもしれなかったが、おそらく自然と熱が入ってしまうんだろう。彼らはそういう年代なのだ。それにしても中年のフリーターなのか社員なのかは判断ができない。
私の受け持つ生徒はどういうわけか他の生徒よりも開始時間が早く、そのため私がその日の授業を終えても、同じように席を立つものは誰もいなかった。もちろん小学生を担当している講師はもっと早い時間からいたが、彼らはその後に更に中学生を受け持っていた。要するに私が誰よりも早く仕事が終わるのである。このことは前述の通り兼山と顔を合わせずに済むので幸運と言えたが、一方でいつまで経っても横のつながりが持てないという難点があった。もちろんわずか週2回のバイトだったので、誰かと親しくしたいとも思わなかったが、それでも情報交換をして、兼山の悪口を言う仲間が欲しかった。兼山はそこまでムカつく人間ではなかったが、やはりベンツは嫌味ったらしい。さらに脂ぎった顔と、上から見下すような喋り方は、十分に話の種になり得た。たまに、壁際の資料を取りに行く時に他の講師と出くわすこともあったが、さすがにそんな時に兼山のベンツの駐車の下手クソさについて語り合う雰囲気はなかった。一番いいのはやはり、ひと仕事終えた時だろう。しかしそんな事のために、ダラダラと居残っているのは馬鹿らしい。せめて、生徒の方が、出来の悪いくせに、高望みしすぎるようなタイプならもっと違ってくる。私も帰ることにのみ集中して仕事するようなことはなく、もっと真面目に資料を用意したり、試験の結果に目を通したりするだろう。残念ながら、私の生徒は分相応で、今までまともに勉強をしたことがないらしく、適当に問題を解かせていたら、中間テストで一気に成績が伸びてしまった。当然兼山は自分の手柄のように喜び、私の授業計画に対する指示はこれ以上ないくらい簡潔なものになった。もちろん、これは歓迎すべき事態だ。私は2月下旬の入試まで大したトラブルもなく授業をこなしていくのだ。
そんな風に余生を楽しむ孤独な老人のような私に、転機が訪れたのは7月の下旬だった。生徒たちが夏休みに入るのに合わせて夏期講習のカリキュラムが組まれ、講師たちは仕事量が一気に増えた。私も他のバイトを調整せねばと覚悟したが、生徒の方が講習には参加しないと表明し、見事に肩透かしを食った。これでまたもやバイト達の連帯の輪に入りそびれたかと思ったが、別の講師の代わりとして、何人かの生徒を見てほしいとの依頼が来た。授業時間が増えたことにより講師の数が足りなくなったことと、田舎に帰省する講師が何人かいたせいだった。私は手が回らなくなった講師のヘルプ要員として何日か出ることになった。その講師が笠奈だった。笠奈は中学3年と2年の女の子を担当していたが、どうしてもスケジュールがかぶってしまっていた。私は2年生の方を見ることになり、笠奈に初日は1時間早く来て欲しいと頼まれた。その1時間でその子の学力や性格その他について引継ぐというのである。講習は午前10時からだったので、家を出たのは8時半頃だった。まだ暑さも蝉の泣き声も本調子ではなかった。事務の女と1人の講師以外は誰もいない。私達は1番奥の席に陣取り、隣同士に座った。私が生徒のポジションだ。笠奈は短めの髪をかなり明るく染め、真っ白いTシャツには、頭蓋骨の絵が書かれた。背は低く、体つきも華奢なので隣に座っても私の方にはスペースにかなり余裕があった。隅で小さくなっているので、性格もそんな感じなのかと思ったら、声は意外と低く、張りがある。説明も簡潔で、断定的だった。話を聞いていくうちに、笠奈に対して神経質な女だという印象を持った。そもそも私が受け持つのは4日間だけで、全体の半分にも満たないのだ。それなのにつまづき易い問題傾向や、休憩中に話題に困ったときに対処方法を教えてもらってても、それを活かす機会が巡ってくるとは思えない。しかも受験生でもないのだから、それほど切羽詰まってもいないだろう。やることは1学期の復習がせいぜいだ。塾側もそれをわかっているのか、夏期講習用に渡されたテキストも、コピー用紙を数枚閉じただけの驚くほど薄いものだった。兼山は苦手箇所はそれぞれ違うから、塾内の問題集で補うようにと言ったが、手を抜いているのは明らかだった。笠奈は、女の子は成績は良いから、大して手間はかからないと思う、と最後に言った。一時間も引き継ぎして結局それかよ、と突っ込みを入れたくなったが、もちろん口には出さない。並んで座っている間、笠奈はほとんど私の方を見なかった。おかげで私は笠奈の耳ばかりを見ていた。赤いクロスのピアスがついていて、たまに蛍光灯の光を反射する。Tシャツの袖は短く、二の腕がかなり露出していた。私は当たり前のようにTシャツに透けるブラジャーの色をチェックし、胸の大きさを吟味していた。もちろん笠奈は私の野郎的な視線に気づくはずもなく「よろしくお願いします」なんて頭を下げて来た。私も「了解です」とそれっぽい顔をして答えた。私の方が年上なんだから、もっとフランクに接してもいい気がしたが、一応ここでは後輩なのだからある程度の敬意は払うべきだと判断した。それに、笠奈の方から私と親しくしようという気配はまるで感じられなかった。
そんな風に過剰なほど準備万端で始まったヘルプ要員の4日間は、予想通り極めて順調で平凡なものとなった。生徒の女の子は、私の言う通りに問題集をするすると解き、ミスらしいミスもほとんどなかった。多少大げさに褒めると、ぎこちなく笑った。歯並びが悪かったが、ちっとも悪い印象は持たなかった。休憩時間には、吹奏楽部でホルンを担当してくれてることと、夏期講習が終わったら家族と軽井沢に行くことを教えてくれた。肌が白く、ボーダーのシャツを着ていた。正直言ってかなり楽しい4日間だった。