意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

十字路(6)

駅前のスーパーの駐車場に車を停め、そこから5分歩いた先にある白木屋で打ち合げは行われた。参加したのは大学生ばかりで、兼山や中年の講師たちの姿は見えない。全部で10人くらいいたが、一続きのテーブルは確保できなかったようで、席は二つに別れた。私は4人掛けのテーブルに笠奈と隣同士で座り、正面には男女1人ずつ座った。男は葉村、女は二階堂という名前だった。(作者注:この二人には名前をつけたが、特に重要な役割は与えられていない)
打ち上げは可もなく不可もなくという感じだった。塾講師らしく、苦手単元あるあるみたいな話が中心だったが、やはり私の受け持ちの生徒の学力は低く、話がうまく噛み合わなかった。ミキちゃんに焦点を当てれば「あの子は図形がちょっと・・・」と話題を振れそうな気がしたが、それは生徒にも笠奈にも失礼な気がした。というわけで私はあまり喋ることができず、極めて退屈な飲み会になりそうだったが、隣の笠奈が割と話しかけてくれたために、そうでもなかった。笠奈は私のために今日来ている人間の名前やその他知ってる限りのパーソナル情報を教えてくれ、さらにここにはいない名物講師の木嶋について話してくれた。木嶋は講師の中で最年長(62歳)で、そのため滑舌も悪いし頭も硬いしで、会話もまともに成り立たない。すぐに若い頃にタクシードライバーをしてた時の話を始める。私はタクシードライバーがどういう経緯で塾講師になったのか、興味があったが、それを知っている者は誰もいないとのことだった。一度捕まると、延々と話が続くので、誰も近づかないのだ。木嶋は現在小学校3年生の男の子を受け持っていて、その子も結構な馬鹿で、笑えるエピソードがたくさんあるらしい。
と言ったところで、隣のテーブルから笑い声が聞こえ、木嶋トークが始まる。今回は木嶋が都合で、授業の日を替えてもらったものの、本人がその事を忘れて通常通り出勤してきたら、生徒の方も日にちが替わったことを忘れ、何の問題もなく授業が行われたというミラクルだった。本人たちは日にち変更のことは、完全に頭から抜け落ち、後からようやく兼山が気づいて、親に謝罪をしたということである。結果オーライだが、システム的にはそうはいかないだろう。私達が同じ事をすれば「勝手に授業のスケジュールを変えるな」とトマトみたいな顔をした兼山に怒られるだろう。ちなみに実際に兼山が怒るところは見たことがない。顔が真っ赤になるというのは私の予想だ。
ともかく、木嶋にはなんのお咎めもなかったらしい。確かに話を聞く限り、注意すればその分手間が増しそうだし、何の被害もなかったのなら、ただの徒労に終わるだろう。だったらとっととクビにすれば良さそうに感じるが、木嶋は兼山の遠縁に当たるらしく頭が上がらないらしい。よくある話だ。
こんな風にただのボケ老人の話を延々と続けても仕方がないが、飲み会の会話なんてそんなものである。とにかく木嶋は私達の緊張を解き、場の盛り上がりに貢献してくれた。残念なのは私が木嶋を見たことがないことであり、というか私がいつも報告書に集中するあまりに見落としてただけなのだが、いまいち会話についていけないことだった。木嶋のことを知らないと言うと、葉村は「まじっすか?」とオーバーリアクションで驚き、箸でつかんでいた鳥の唐揚げをテーブルの上に落とした。二階堂は唐揚げを再度掴むのに苦戦する葉村を無視して「小学生の時間だから、早い時間ですけど、大抵は居残ってますよ。注意してればすぐわかりますから」と実に丁寧に教えてくれた。葉村はひとつ、二階堂はふたつ年下だった。2人とも当然私に対して敬語を使う。
やがて木嶋のネタが出尽くすと、まとまっていた空気が再びばらけ、2、3人ずつ思い思いの事を喋り始めた。笠奈はライムサワーの後に、赤ワインをグラスで頼んで比較的大人しく飲んでいた。それを半分くらい飲んだところで「ちょっとごめんね」と言い、鞄から煙草の箱を取り出して吸い始めた。甘い匂いのする煙草だった。この前のマクドナルドの時は、吸っていなかった。そう思ったのが通じたのか、笠奈は「やっぱ酔っ払っちゃうと吸いたくなっちゃうよね」と照れ臭そうに言った。私達の方で煙草を吸ってる者は他にいない。葉村はすぐに隣のテーブルから灰皿を取り、笠奈の前に置いた。そして「今度はどれくらいやめてたの?」と聞いた。
「3日」それだけ答えて笠奈は目を細めて煙を吐いた。
確か笠奈と昼を一緒に食べたのは一週間前で、その時も禁煙していた可能性が高い。3日という言葉が本当ならこの一週間で一度禁煙に挫折し、3日前から再び挑戦したことになる。そしてまた挫折した。不毛な女だ。
「だいたいさ、煙草の箱を持ち歩いちゃってる時点でやる気ゼロだよな」隣のテーブルから声が聞こえた。
「うるさいなー」笠奈はそちらを睨んで言ったが、その瞬間どっと笑いが起きて、笠奈もつられて笑ってしまった。そのやり取りの感じから、私は笠奈の禁煙は、塾講師達の間では恒例の行事になっていることを悟った。
それからは、とある生徒の両親が離婚したというシリアスな話になり、果たして子どものために親は別れない方がいいのか否かでちょっとした議論になった所で、店員がラストオーダーを取りに来る。とりあえず何か飲む?のやり取りで雰囲気は一気に変わり、お開きの雰囲気になった。私はまだそれ程酔ってはいなかったので、二次会があれば参加してもいいような気がしたが、そういった話題をだす者は誰もいなかった。まあ店を出て群れから離れなければ、このまま解散かどうかはわかるだろう。と、最後の締めとして頼んだぬるい生ビールを飲みながら、ていうか笠奈はどうなのかと様子を伺っていると、笠奈は突然、
「なんかお台場行きたくなってきた」
と言い出した。あ、この女相当酔っているんだな、と思っていたら葉村も「行っちゃう?」と話に乗ってきた。こんな夜中にお台場へ行くなんて、訳がわからなかったが、結局こちらのテーブル4人で深夜のお台場ドライブへ行くことになった。行かない者らに、笠奈が声をかけると「行ってらっしゃい、気をつけてねー」と軽く声をかけていたので、割とよくあることなのだろうか。私は、行くとも行かないとも言わなかったが「海見たいよね?」と笠奈に言われ、自動的にメンバーに加えられてしまう。そのことに関しては悪い気はしなかったが。