意味をあたえる

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十字路(14)

3月から笠奈のアメリカへのホームステイが決まり、その間、ミキちゃんの授業を見ることになった。笠奈も受験生を受け持っていたが、その生徒は2月の末には第一志望に合格した。笠奈は、誰からも無責任な女と後ろ指をさされる事なく旅立って行った。もしその子が受験に失敗し、二次募集の学校を探さなくてはならない状況になったとしたら、笠奈はどうしたのだろう?でもそんなことは、初めから起こる可能性ゼロ、と言った雰囲気だった。世界は笠奈を中心に回り、そして笠奈は胸を張って自分の夢をひとつ叶えた。
私は、笠奈のホームステイの話を本人ではなく、兼山の口から聞いた。来月ひと月笠奈いないから、ミキちゃんの講師を頼む、という業務指示の中で。私が事情を聞こうとする前に、大学の授業でホームステイするらしいよ、ボストンだっけかな?とご丁寧かつ簡潔に教えてくれた。当然私としては、そんなことを兼山の臭そうな口から聞かされるのは、愉快なはずもなく、同時に私が全く知らない笠奈情報を、兼山が保持していることに無性に腹が立った。確かに、重要度で言えば兼山の方が上だが、つい3日前にミキちゃんの授業後に笠奈とは顔を合わせている。何故その時に教えてくれないのか。
答えとしては、それは2月の寒さのせいではないだろうか?流石にこの寒さでは、夏の時ようにいつまでも外でだべってはいられない。それでも私は例え5分でもいいからみたいな素振りを見せるが、受験のストレスもあるのだろう、笠奈はほとんど喋りもせずに建物へ入ってしまう。口を開いたら、そこから体の熱が逃げるからとでも言いたげに、唇を内側に巻き込んで口を結んでいる。私は笠奈に素っ気なくされて傷つくのが嫌なので、もう最近では笠奈を押しのけるようにして、先にドアを開けるようになった。なので笠奈としても、ホームステイの件を切り出すタイミングを完全に逸していたのかもしれない。
て、冷静に分析してどうする。
とにかく笠奈は私に何も言わずに、国外へ消えた。残された私は、ミキちゃんの授業のコマ数が増え、だがつい先日1人生徒が片付いたところだったので、かかってくる物理的負担はなにも変わらない。それなのに、何故か違和感のような、心に引っかかるものを感じていた。
最初はそれを、笠奈に何も告げられなかったショックの余波で、なんでも特別に見えちゃうせいだと思った。しかし、何日経ってもその感覚を拭うことができない。そして3回目の授業でようやく気付いた。ミキちゃんは髪を染めていた。
後ろ髪を2つに分けて縛り、ハタキの先のようになっているミキちゃんの髪が、ほんの少しだけ茶色くなっている。よくよく見なければ気付かない。指摘しても「蛍光灯の加減」とか反論されれば、納得してしまう程度の色合いだ。だが、一度そうとわかってしまえば、受ける印象はまるで変わる。
他にもまだ発見していない変化があるのではと、漢字テストを解かせている隙に間違い探しでもするみたいに、注意深く観察するが、他に変化はないようだ。耳にも穴は開いていない。
態度も以前と変わらない。私が文系科目を担当することを伝えると「さて、笠奈先生よりうまく教えられるかな?」とからかってきた。「言っとくけど文系はスパルタでいくからね」と脅すと、わざとらしい悲鳴をあげた。そういう受け答えの中に、ミキちゃんの私に対する好意を感じる。もはや私の中では、友達と話をする時となんら変わりがない。ミキちゃんとの授業の時、私は意味もなく早目に来て、テキスト等を机の上に並べる。それから今日はどんな話をしようかとあれこれ妄想を巡らす。無駄な時間を減らして、この中学生との時間を可能な限り有効活用しようという魂胆だ。
では、ミキちゃんが髪を染めた原因はなんだったのか。彼氏?家庭?色々ありすぎて、見当がつかない。今まで聞いたミキちゃん情報は、全て事の真相を隠すためのカモフラージュに思えてくる。そもそもいつから染めていたのかもよくわからない。おそらく今月に入ってからだろう。笠奈が見たら、すぐに気付くはずだ。その事を笠奈が私に報告するかは不明だが、ミキちゃんの立場で考えると、笠奈には見られたくないんじゃないだろうか。なんとなく。
まあその仮説が合ってるかはともかく、今更それを指摘するのはいくらなんでも間抜けすぎる。ミキちゃん本人からも、言う気配はないので、触れないほうが無難かもしれない。
そもそも今時の中学生は、髪ぐらい普通に染めるのかもしれない。軽く色を抜くのはおしゃれの定番で、事なかれ主義の腰抜け教師どもも、金とか赤にならなきゃあえて注意もしないのだろう。ミキちゃんだって彼氏がいるのだから、少しでも自分を魅力的に見せようとした結果の行動なのかもしれない。そう考えると微笑ましく感じる。サッカー部の単純で鈍感な彼氏はなかなか気付いてくれなくて、ミキちゃんはイライラしつつも、気持ちのどこかでかわいらしいとか思ってしまう。もちろん彼が実際に単純で鈍感なのかは知らないが、男は大体そういうものだ。
私はふと、ミキちゃんと彼氏はセックスをしているのか、という疑問を抱いた。全く見当もつかない。だが、そういうのとは無関係に、服を脱がされるミキちゃんが頭の中に展開される。ベッドの上で、薄い黄色のトレーナーを脱いで、下着があらわになる。が、それがどんな柄でサイズなのか、うまく想像できない。そもそもミキちゃんはブラジャーをつけるのか。胸の大きい子はしているだろうが、ミキちゃんは小柄で、だぼっとしたトレーナーをかぶってしまうと、胸の膨らみなんてほとんど確認できない。ミキちゃんの体型は笠奈とほとんど変わらない。小柄で、手足と首が細くて子供っぽい。だが笠奈は間違いなくブラジャーくらいするだろう。そうすると、ミキちゃんだって、付けててもおかしくない。でもフリルがついたりワイヤーの入った本格的なものではないだろう。ならば、スポーツブラのようなものなのか。だが、スポーツブラに茶髪なんて、ちょっとミスマッチだ。セックスでミスマッチはいい刺激だし、別に何かが悪いわけでもない。しかし私の想像はそこでしぼんで、ミキちゃんの裸とか性器とか、そういうところまで行き着かなかった。
というわけで、私はミキちゃんの茶髪には触れず、また欲情することもなく、健全に日々の授業をこなして行った。