意味をあたえる

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十字路(16)

「出ようか」
そう切り出したのは笠奈の方で、その時はお互い無言のまま10分は過ぎていた。途中で笠奈がトイレに立ったので、もっと過ぎたのかもしれない。その間私の頭の中は、言うまでもないが兼山でいっぱいだった。笠奈に「(自分が付き合っているのは)君も、知ってる人だよ」と言われた時、実は最初に兼山の事が思い浮かんでいた。倫理的配慮から頭の隅に追いやっただけだ。というか、私は物語の冒頭からずっと兼山が付き合っているのではないかと疑い、ある時点から確信を抱いていた。と、そこまではっきりと思ってはいなかったが、事実を知ってしまうと、何故か自分の兼山に対する感情は、笠奈との関係に対する嫉妬に端を発しているような気がしてくる。よく考えれば、兼山は今まで出会った中年男の中で、飛びぬけて嫌な奴というわけではない。他のバイトや学校、あるいは自動車教習所で、様々なタイプの嫌な人間に出会ってきたのだ。兼山そのものには罪はない。
過去がどんどん書き換えられる。
だがそうなると、もしかしたら妄想していたかもしれない笠奈と兼山のベッドシーンは輪郭を得て、俄然リアリティを増す。いや、リアリティどころの騒ぎでなくてもう本当にあった話で、私の再現映像は細部は的外れでも、大筋では合致しているのだ。
参考までに私が考えた事を書き留めておくと、舞台はn号線のC市インターそばのLというラブホテルの一室で、そこは山小屋みたいな趣のホテルで、壁紙は木目調、アンティークチックなドレッサーがあったりする。ど真ん中に設置されている広くて丸いベッドの上で、笠奈が抱かれている。おそらく騎乗位。ぶよぶよの兼山の腹の上で笠奈が腰を振っている。
そうして行為のあとに毛布に包まれながら、私の話とかもしているのだろう。「あいつお前に気があるんじゃない?」「まさか。あの人はミキちゃん狙いだと思うよ」「そりゃまずいよ。これだから男を女子生徒につけるのは嫌なんだ」みたいな。

今日は車で来ていたので、帰りは弁当屋の駐車場まで笠奈を送る。ドアを閉めたり鍵を回してエンジンをかける音が、いつもより車内によく響く。とっくに営業を終えた弁当屋は、当然ながら照明は消され、道路の向こう側の街灯が、店の屋根をオレンジ色に染めている。屋根と言っても看板を兼ねた布製のテントのような代物で、春風に吹かれはたはたと揺れている。
本当はこのシチュエーションで告白するつもりだったのに、全ては無駄になってしまった。結果的に同じだとしても、別れ際に言えば気まずい時間はもっと短くて済んだはずだ。昼間、笠奈から電話で誘われた時に、最適のタイミングについて、あれこれ検討していた頃が懐かしい。一気に歳をとってしまったような気分だ。酔いも完全に覚め、胃に入れたつまみの量を検証すると、空腹すら覚える。
て、笠奈はいつになったら車から降りるのか。私はさっきから悲壮感たっぷりに椅子にもたれているのに、ちっとも察する気配がない。ここまで空気を読まない女だっただろうか?アメリカで奥ゆかしさの欠片すら捨ててきてしまったのかもしれない。
確かにむっつり黙っている私も悪いのかもしれない。素直な私は、いささかタイミングは悪いが「そんじゃ、また」と声をかけてみた。これは「また以前の関係に戻って2人で楽しいお酒を飲みたいものだね」と願いを込めたわけではなく、自分を皮肉っているだけだ。
笠奈は「うん」と返事はしたが、微動だにしない。目線はカーステレオのあたりに固定されている。青い液晶には、現在時刻が表示されている。10時25分。
笠奈は何か言いたいのかもしれない。私はこんな状況の中での自分の立場というか、優しさについて考える。何か言葉をかけた方がいいのかもしれない。例えば全く関係ない話題を振るとか。こんな時こそミキちゃん登場させるとか。なんか利用するみたいで後ろめたいが、彼女は協力してくれると言ったので、かえって遠慮する方が悪いんじゃないだろうか。て、私はまだまだ笠奈に色々気を回さなきゃいけないのか。それが大人の対応なのだろうか。意味がわからない。もう笠奈にどう思われたって構わない。早く帰ってほしい。
私が「帰れよ」と切り出すがどうかを延々と悩んでいるうちに、ついに笠奈の方が「私さ」とつぶやいた。
「私さ、最低だよね」
そんなことないよ、とでも答えればいいのだろうか。私は笠奈を混乱させ、傷つけてしまったのだろうか。だからと言って私はやはり笠奈に同情する事はできない。もし、私と笠奈が100パーセントの友達であるなら、不倫なんてする笠奈に怒りをぶつけるだろう。そのまま行けばいずれ深く傷ついてしまうのが目に見えてるからだ。それを周りが見えなくなっている本人にわからせる事は、至難の技というか、ほとんど不可能だが、それでもこちらも衝動にかられて、延々と笠奈を説得するのが友達っぽい。でも私がそれをすれば、単に下心に突き動かされた行動で、どう自分のベッドへ誘導するかの戦略となってしまう。
だからやはり笠奈は最低だ。「最低」と宣言することが最低だ。
「ていうかさ、兼山のことが、好きなの?」
「うーん。好きじゃないと、思う」
「じゃあ、なんで付き合ってんの?」
「なんかさ、ベンツに乗ってみたかったんだよね」
何の冗談かと思ったが、笠奈の表情は笑っていない。兼山のベンツの銀色が頭の中で光を放つ。いつも塾の隣の月極駐車場に停められている。駐車場は地面は砂利で、駐車スペースはロープで区切られている。緑色のフェンスは所々塗装が剥がれ、そこに錆が浮いている。ぴかぴかのベンツとのギャップは滑稽にすら見える。その助手席にはもっと滑稽な女がいて、シートの座り心地や内装の高級感、後部座席に備え付けられた救急箱なんかにため息をついている。やってらんないよ。
「お前馬鹿じゃねーの」
思い切り憎しみを込めたつもりなのに、何故か語尾で笑ってしまった。あまりにくだらな過ぎるのがいけないのだ。
「だって、乗りたかったんだからしかたないじゃん」
「だったらディーラーでもなんでも行けばいいじゃんかよ」
「やだよ。行ったって場違いなだけだもん」
「だからって付き合うって本当意味不明」
言い合いをしてるうちに、私はようやく笠奈の狙いに気付いた。内容はなんであれ、こうした掛け合いがいつだって楽しい。悔しいが。
やがて、会話がわけのわからない方向へ行って、お互いに黙って流石にもう解散だろ、と思ったら笠奈が「喉乾いた。アイス食べたい」と言い出した。私はアイスなんて全く食べたくなかったが、そこから5分くらい車を走らせてセブンイレブンへ行き、笠奈が食べている姿を眺めるのも馬鹿馬鹿しいので購入し、結局笠奈の分まで払ってしまった。笠奈は店員の前なのにはしゃいだ声で私に礼を言い、そういえばさっきまで酒を飲んでいて、この女は酔っているんだと思った。そして、目の前の店員は、私たちの事を恋人同士だと思って見ているに違いなかった。