意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

十字路(20)

これは国道n号線についての散文である。

意を決して彼女をメールで誘ってみると、特にためらう様子もなくOKの返事がきた。すでに9月も半ばになっている。あの一件以来、電話をしても大した盛り上がりもなく終わってしまう。それなりに楽しく話したつもりでも、電話を切ると疲労感だけが残り、無意識のうちに彼女を気遣っていることを実感させられる。海へ旅行する計画も、いつのまにかなくなった。なんのアクセントもなく8月が過ぎ、暑かったのかそうでもなかったのかもよくわからなくなっていた。
最終週の月曜日に、塾からの給料が振り込まれ、ようやくひと息つけたような気持ちになれた。こちらから特に連絡もしなかったが、二度と関わることはないだろう。塾の人間には、通夜の日以来会っていない。

選んだ店は、私が彼女に気持ちを伝えた居酒屋だった。ちゃんと付き合うようになってからは、一度も来ていない。それでも店はちゃんと潰れずに残っていたし、内装も店員も何も変わっていなかった。なぜかそれが奇妙なことに思えて、無理して変化を探してみた。メニューが一部と、トイレの貼り紙が変わったような気がする。
彼女と会うのは、ほぼ2ヶ月振りだったが、久し振りと挨拶するのが嫌で、つい3日前に会ったばかりのように振舞った。彼女も私のそんな気持ちを察したのか、第一声で「お腹すいた」と言って、あとは他愛のないことを話した。彼女は夏休みも大学へ通っていたらしい。
知らないうちに、彼女は髪を黒くしていた。この前までは、ほとんど金に近い茶色だったので、会った瞬間は別人のように見えた。長さも肩にかかるロングで、毛先もみんなまっすぐ下を向いている。その上、黒いブラウスなんか着ているから、いよいよ大人しくて清楚な女に見えてしまう。首元は大きく開かれ、白い鎖骨が強調されている。私は思わず「似合わねーよ」とからかいたくなったが、それを言ったら、やはり久しぶりの再会というシチュエーションとなると思い、口をつぐんだ。
健全な恋人同士なら、ここまで変わった髪型に触れないのは死活問題になるだろう。私は彼女の新しい髪型に対する正直な気持ちを伝え、彼女を喜ばせたかった。そして、信号待ちの時なんかに、さらさらした毛先に触れてみたかった。
でも、やはり言えない。黒く染めるに至った理由とか背景とか、話題がそこに行くに決まっているからだ。もちろん彼女は大きな決意を持って、髪型を変えたのではないことはわかっている。だが、私は彼女の黒い髪を見た瞬間、やはり喪に服すという言葉を連想した。そしてそれは、おそらく彼女にも伝わっている。
葛藤は駐車場に車をおさめるまで続き、白線内にまっすぐ停めるのに、何度も切り返す羽目となった。私は車を降りるとすぐに助手席の方へ行き、彼女の右手を握った。すぐに握り返され、私は髪型に触れない罪から逃れられたような気になった。

酒を飲んでいる間はずっと、先週起きた同時多発テロの話をした。アメリカでテロが起きた時、私はベッドで本を読んでいて、ニュースが大騒ぎしていることに、全く気づかなかった。彼女の方は風呂上がりで、髪を乾かしながら22時のニュースを眺めていたところに速報が入り、その後二機目がビルに突っ込む瞬間を生で見た。ちょうど一機目が衝突した状況を、キャスターが興奮気味に説明している時だった。背後のモニターには、灰色の煙を吐き出すタワーの姿を映し出されていたが、音声はなかった。事故なのか事件なのかもはっきりしない中、別の旅客機が画面の右側から現れ、滑り込むようにビルの横腹をえぐった。飛行機は手品のように影も形もなくなり、一瞬ただそれだけのことかと思ったが、やがてタワーは、二本とも崩壊した。
彼女はすぐに私に電話をかけてテレビをつけさせ「映画みたいだ」と言った。私がテレビをつけると、瓦礫と大量の埃が映し出されているだけだった。彼女の語彙が少ないのか、気が動転しているのか"映画みたい"という言葉は何度も繰り返された。確かにその後、連日流れた二機目突入のシーンは、あまりに鮮明に映り過ぎていて、合成映像のように見えた。だが、それは彼女の言葉のせいのような気がした。私のオリジナルのショックは、すっかり上書きされてしまい、本当は別の感情を抱いていたような錯覚を覚える。
大統領は演説の中で、犯人グループに対する報復を宣言した。日本のテレビ局は、軍事評論家を連れて来て、アメリカの所持する空母とか機関銃とか、そういうことを事細かに説明させた。戦争が始まるらしかった。

私は、やはり自分たちの近況その他の話に及ぶのが嫌だったので、この世界的大事件の話ができるだけ続くように、イスラム教徒が迫害を受けている事を嘆いたり、彼女のホームステイの期間中じゃなくて良かったと喜んだりと、積極的に話題を提供した。聞き手に回った彼女は、ファジーネーブルを立て続けに3杯飲んだ。頬に赤みがさし、アイスを食べたいと言い出した頃には、私の手元のビールが、すっかりぬるくなっていた。
メニュー表を新聞ように掲げ、なかなかデザートを決められない彼女の様子を見ながら、私たちの関係は、様々な犠牲の上に成り立っているような気がした。