意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

歩道橋(3)

由真のメールは翌日の昼休みに読んだ。工場は人数が多いので昼休みは2交代制で、12時の人と13時の人がいる。私はどちらでも良かったので、中途半端になってしまうことが多かった。午前中は毎日課長とのミーティングでつぶれ、それが長引くと14時からお昼ということもあった。予定が詰まっていると昼そのものがなくなることもあった。
「福園くんさ、仕事は博打じゃないんだから」
が課長の口癖だった。生産計画の遅れを指摘され、対策について却下され、切羽詰まって「とにかくやりきります」と宣言すると言われるのがお決まりのパターンだった。私は「すみません」とうなだれるが、これは峠を越えた合図でもあり、ここからは下り坂になる。課長はかつて自分がいた工場のことを語り、「生産倍増プロジェクト」のときのエピソードを披露した。そこからヒントを得ろというのである。参考になるところもあったが、「生産倍増プロジェクト」なんていかにも頭の悪そうなネーミングのせいで、イマイチ話が頭に入らなかった。課長は工場設立にあたり、外部からスカウトされた人物だった。一方の私は元々営業所の商品管理だったので、工場経営は素人であり、どうあがいても課長に太刀打ちできなかった。
「それでは私はクレーム対応を、午後から行いますので」
そう言ったのは草野さんで、草野さんは係長で私より役職は上になる。悪い人ではないが杓子定規なところがあって、仕事は毎日定時であがる。仕事がつまるとパニックを起こすのが特徴で、それでも残業をしないのは、前の仕事で月の残業が150時間を超えて鬱を発症したためだった。残業ができないことは会社側も承知していて、それでも係長なのだから仕事ができる人なのだろうが、起こすのはパニックばかりだった。

テレビの会議の後、2時半ころにサンドイッチを頬張りながら由真のメールを読んだ。思ったより長かったので途中で一度中断して歯を磨いた。課長も草野さんも外に食べに行っていない。昨日まで雨が続いていたが今日はよく晴れていて、外にいると汗ばんだ。通りには幼稚園帰りの子供が親に手を引かれて歩いていて、その向こうは住宅街だった。隙間を埋めるように柿の木やチェリーの木が植えられている。来週からぐっと気温が下がるとのことだった。11月だった。

正直由真が「十字路」を読むことは想定していなかった。メールにあるとおり、私と由真が知り合ったのはH市の旧道沿いにある、マンツーマンの学習指導塾だった。マンツーマンだったので大勢の生徒を相手にするわけではなかったが、その分時給は安かった。私が入ったときに色々世話をしてくれたのが由真だった。由真は私に勤怠方法やテキストの場所や、報告書の書き方を教えてくれた。基本的な授業の進め方を教えるために、実際と同じようにブースに2人で並んで座った。講師は名札をつけることになっており、それを見て下の名前を知った私は、早い段階で「由真さん」と呼ぶようになった。その後は「十字路」と同じように夜中にドライブをしたり、一緒に飲みに行ったりする間柄になった。「十字路」はそういった記憶を元に書かれたが、それでも由真が笠奈のモデルになるのかというとそれは別問題だった。由真のことについて私は多くのことを忘れてしまった。ただし、「十字路」が最初に書かれたのは7年前で、その頃は今より由真のことについて多くをおぼえていたのかもしれない。

由真と最後に会ったのは確か12年前で、そのときは生まれたばかりのナミミちゃんに会いに行ったのだった。とても小さい子で、未熟児として生まれてきたと聞いた。母親の方が退院しても、子供の方が黄疸が出るというので、一週間くらい保育器の中に入れられたそうである。

3時になると作業者たちが休憩をとるために外に出てきた。ほとんどが煙草を吸うためであり、喫煙所は事務所のそばにあった。ぼんやりと通り過ぎる人々を見ていると、その中に環さんがいた。仲良しグループの数人とじゃれ合っていて、その様子が女学生のように見える。私はさっそく環さんに、由真のメールのことをLINEで報告しようと思った。環さんは何度も
「笠奈は実在するんですか?」
と聞いてきたから、由真のことを知ったら驚くに違いない。しかし「元カノ?」と聞かれるのも鬱陶しいので、当分はやめておくことにした。