意味をあたえる

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ネギトロ

ネギトロ巻きを食べている人を見かけて、妹がネギトロ好きだったことを思い出した。子供の頃家で手巻き寿司をやると、妹は際限なくネギトロを注文した。私の家でのネギトロは母が言われた具と酢飯を海苔の上に乗せて巻くシステムで、各自が好き勝手に海苔を巻く場合もあるというのは大人になってから知った。兄弟と父が順番に母に海苔を巻いてもらい、注文をするが妹だけは「指定がない限りネギトロ」という独自のシステムをつくっていた。手巻き寿司というのはネギトロだけでは盛り上がらないのでマグロもホタテもイクラも用意されていたが、偏った発注によってそれらは余ってしまうのが常だった。私は長男だったから余るにしてもネギトロばかりなくなるのは不憫だと思い、できるだけバランスよく発注した。妹のことを考え、ネギトロはめったにチョイスしなかった。だから母は私がネギトロは嫌いだと思ったかもしれないが、特に嫌いではなかった。


上記はかつては当たり前のやりとりだったが、いつしか家族は形を失い、自動ネギトロ発注システムも廃れてしまった。弟は高校に入った頃からあまり家にいなくなり、夕食を一緒にする回数が減った。妹は私よりも先に就職して忙しそうだった。私だけが最後までしがみついたが、最初に結婚をして家を出たのは私だった。子供ができると、もはや手巻き寿司の具に至るまで子供の自由自在となり、そこに妹が同席してもネギトロを独占することはなかった。


子供の頃、大人になるのはまだまだ先で子供時代がずっと続くものと思っていた。実際にあまりに長かった。就職したり結婚したりというイベントをこなしてもまだ子供時代の延長のような気がどこかでしていた。しかしある時に子供時代が完全に終わり、二度と戻れないことに気づいた。自分の人生で手一杯になっているうちに母は白髪になっていた。妹がネギトロ好きなことは、もう私の人生には完全に無関係なこととなっていた。