意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

傷つかなくなることについて

男は鈍感みたいな記事を読んでタイトルのことを書こうと思ったが、記事を先まで読むと割と男女がどうこう的な話だったのでリンクは外した。あまりそういう界隈には近づきたくない。銭湯の男の脱衣場だけ防犯カメラがついている頻度が高いというのは確かに差別だが感覚というのはそう簡単に変わらないし、気づいたら変わっていたというのが感覚だ。私は煙草の吸い殻をその辺に捨てることに関しては子供の頃から違和を抱いていたが、当時はあまり理解されていなかった。当事者に話を聞いても良くないこととわかっていても、だから止めようとはならなかった。それが今はなんとなく変わってきている。男だから・女だからみたいな言説はやがて変わるのかもしれない。問題視はするべきだが思い通りになるタイミングは自分では決められない。


私がおそれるのはこのような感覚の違いはほとんど無意識だから誰かが不利益を被っても気づかないケースがあるということだ。男だから・女だから問題は今は取り沙汰されるから意識はできる。私は感覚的に「男は雑に扱ってよし・女性は大切に扱わなければならない」というのが染み着いている。小学校の時に女の同期を殴ったら「女性の体は大切だから」と説教された。もちろん私が子供の頃だって暴力はNGだが、子供は感情が未熟だからときには抑えがきかなくなり、そんなときでもせめて女性はオマケしてね、という主旨である。


しかし何回か前の記事で書いたが私は幸運なことに今の職場で女性が力仕事をするのを身近で見ることができ、頑丈さは性別とは無関係というのを目の当たりすることができ、少し感覚を変えることができた。その数年前には新入社員の若い女性が重量のある商品を迷うことなく「運べない」と言ったことにやはりモヤったが、その女性は小柄なので無理ないのかもしれない。