意味をあたえる

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傷つかなくなることについて2

昨日の続きだけど例えば最近は犬猫を金銭で授受するのはいかがなものかというのはあまり聞かなくなった。相変わらずペットショップはあるからもう下火になったのかもしれない。そういうのが言われるようになる前に保坂和志が「犬猫を売買するなんてありえない」と話している動画を見て(そういうものなのかな)と思ったが私が生まれるずっと前は人間も普通に売買されていたのだ。人間と動物は違うから、という理屈はずっと昔の白人と黒人は違うから、というのと同じことなのだ。いずれは昆虫や植物も売り買いするのが嫌悪される時代がくるのだろう。それは正しい・間違いとは違う話である。


私が書きたいのは別にそういうことではなく、性別問わず年をとれば傷つかなくなるということで、村上春樹がどこかでそのことについて書いていたのを読んだ。それは経験を重ねて傷つかなくなる側面はあれど、段々と小さなことで傷つくのがみっともなく感じるようになって、傷つかないように努力してなる、という話しだった。みっともないというのはさておき、確かにしんどくはなってくる。もちろん傷つくのは年齢関係なくしんどいが、年を重ねればそのしんどさを見積もれるようになり、最初からわかっていれば避けたくなるのである。例えば成長するために、自分の悪いところを指摘してもらったりということがあるが、もうそういうのはたくさんで、自分の悪いところは自分のいないところで頼むよ、とお願いするようになる。愚痴とか文句はダサいと思っていたが、やはり聞いてもらえばすっきりする。そんなことをしていれば鈍感になるのは当然で、だんだんと自分の守備範囲でしかものが言えなくなってしまう。年寄りの話は語りもっともらしくても中身はずっとバージョンアップされずに古いままである。その現実を受け入れたくなかったら孤独になるしかない。