アドラーが好きで一時期よく読んでいたが目的論というのが出てきて出来事をそれに当てはめていくのは面白い。目的論というのは人の感情や行動を原因ではなく目的でとらえるみたいな考え方で例えばムカつくことがあって怒るのはムカつくことがあったからでなく怒って相手を服従させる目的があるからだ、みたいな考え方だ。会社でいつもイライラしている人がいてイライラしすぎて休んでしまうのだが色々聞いてると自らイライラの渦中に突っ込んでいるように見える。なんで突っ込むのか、と考えると心配されたいとか休んでも無理ないよねと思われたいとかそんな感じなのかな、と思う。「休みます」という連絡に私は「いいよー」という返事をするが本当は「ふざけんな」とか言った方がいいのかもしれない。私が怖いから休むんですって言いたいのかもしれない。
ここ数年で色んなタイプの人に出会ったが人に対しても程々の距離がいいとしみじみ思う。期待もしすぎなければがっかりもしないしある程度馬鹿にしていれば度を越して嫌いになることもない。AB型は一度嫌いになると戻らないと言われ血液型のことは知らないけど私は一度嫌いになった人のことを好きになりたくはないと思う。文章にすると当たり前なのだが嫌いな人でもそばで見ていると良い部分も見えてしまい評価がひっくり返りそうになるのである。ひっくり返って何が悪いの? て理屈だがそうなると嫌いと評価した過去の自分が否定されてしまうから許せなくなってしまうのである。それはとても狭量な考え方だがそこに陥らないためには嫌いのラインを越えないような適度な距離をとってつき合うのが望ましい。