少し前まで写真はまったく撮らない主義だったけれどだんだんと心境が変わってきた。残しておけばいろいろ思い出せることに気づいたからである。そう思い風景などを何枚か写真におさめたが大変つまらないものばかりだった。テクニックも何もなくただ携帯をかざすだけだからである。光の当たり方で合成写真に見えた建物と背景を撮影したらまったく自然な写真になってしまった。またピントが合っていないものもある。そういえば私の父が写真を撮るのが好きだったから私は写真に興味が持てなかったのである。私が中学か高校の頃教材の営業が来たことがあったがそのとき応接室兼父の部屋にあったカメラを見て
「100万円以上はかかってますよ」
と言っていたのをおぼえている。私も母もこの営業が何を言いたいのかわからなかった。そういえば父がカメラを構えるところをほとんど見なくなった。正月に行ったら餅がつきたいと言う。カメラよりも餅に興味が出たのかもしれない。父も素人考えで餅を言い出したのではなく農家のせがれだから昔を思い出したのだ。私が小さい頃は大晦日の一日前に餅つきがあって、しかしそれはウスと杵のやつではなく発動機で動くやつだ。私にとって餅つきとは機械なのである。趣がないのかもしれないがその後炊飯器タイプが出てきてこれを見たときはさすがにもうサトウの切り餅でいいのではと思った。しかしその頃には私にも子供がいて下の子が生まれたばかりで上の子もまだ分別がない年頃だからもうよぼよぼで重い物は持てない祖母にいきなり赤ん坊をラグビーボールみたいにパスして祖母が中腰で踏ん張りながら悲鳴をあげるという愉快な光景を見れたからサトウの切り餅でなくてやはり良かった。祖母はひ孫ができてそれまでやめていた餅つきを久しぶりに行ったのだ。それからほどなくして祖母は死んで子供たちに餅つきの記憶など何も残らなかったが私はそのときの祖母の中腰具合について何度も話す。覚えているのは私だけだし愉快なのも私だけなのに何度もその話をする。そういえば私が赤ん坊のころ、ハイハイで二階のベランダの手すりの隙間から屋根に落ちてしまい、父が魚をすくう網で私を引き上げたという話を私は何度も聞かされた。その事件以来手すりの隙間から出られないように小学校のウサギ小屋みたいな金網が張られたのだ。当然私はそんことなどまったく覚えていない。