意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

痛いのは自分

土曜の夜中に子供から電話があって運転している車がパンクしたと言ってきてとりあえず保険会社に電話するように言ったらレッカーが車を迎えにくるが人は乗せてくれないと言うから私が迎えに行った。片道30分くらいの道のりで夜中だったのでもっと短い時間で着いた。若い頃によく通った道だった。土手の前に急カーブがあってコースアウトしそうになったことがある。私の子供も今は若いから無茶な運転をしたのかもしれない。特に文句は言わずに乗せて帰った。私はその他にも鍵の閉じこめを2回やったし免許取り立てで父親のセダンを思い切りこすったこともある。ガレージの壁が思い切りへこみ、そのガレージは叔父の経営する洗車場だった。私はその後大学を卒業してそこでアルバイトを始めた。はっきり言って楽な仕事だったが叔父にはよく怒られた。怒られていないときもとにかく話好きだからいつも様々な話を聞かされた。保険の話もあって過失割合というものもそこで知った。事故を起こしてどっちが悪いとかは知らないけど痛いのは自分だから、というのは良い文句だったと思う。考え方として追突された車のドライバーが過失割合が10対0の0側で儲かったみたいなのがあるが、それとは別の過失の有無に関わらず事故はあわないのが一番ですよという考え方だ。また事故は自分が気をつけていても起こるときは起こるというのもあった。車の営業はみんなそういう風に考えるのだろうか。あるとき1回で5事故起こしたドライバーの話をしたがそれでも叔父は運転手の技能とか人格に言及することはなかった。おかげで運転や事故に関しては寛容に考えられるようになった。