意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

一貫性を保つのはむずかしい

読まないこととか、読むこととか。 - 犬だって言いたいことがあるのだ。

いぬじんさんの「2021年以降、これまでとは全く違う自分を生きている」という文を読んで私も今は違う自分だなと思った。私の場合は2018年で自発的に生きたわけではなく、今までと違う部署で会社の意志で生かされた。会社の意志で、とか言うと今の会社はそういうのは気にくわないみたいな雰囲気だが私も周りも部署が変わっても仕事は大して変わらんよねと思っていたら違った。色んな歯車が狂ってしまって元通りにならなくなり、しかたなく1から作り直すようになった。その間に上司が替わりいなくなった上司が戻ったり突然キャンピングカーを買ってやめたり、最後は組織編成そのものが変わった。そんな風に上空は雲が流れるみたいにどんどん雲行きが変わったが、地べたに張りつく私は基本的にはカオスな状態が維持された。それは今も進行中だがとりあえずまた文章をつづる気にはなってきた。しかしどんなことを書いていたか、どんな気持ちで書いていたかは今ひとつ思い出せない。小説も以前ほどは読んでいない。それと関係あるかはわからないが、それほど文章を書いていても面白くない。


ところで書くことがあまりないのでこのまま公開しても良かったがとりあえず一旦編集を完了してプレビューみたいなのを立て読みしたら「生志社」というのが出てきてアマチュアの哲学者もどきが人生のひがみみたいなのをひたすら綴った同人誌を出版する会社名みたいだと思った。「いきししゃ」と読んで生者と死者を行ったり来たりするのである。生きてるときと死んでるときは実は同じかもしれないと昔ブランキージェットシティーの人が言っていた。