意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

中途半端な能力は変化の足枷になる

結論から言えばどう自分を軽く扱うかということだが、今日美容院で髪を切ってもらいながら仕事の話をしていて、私の職場で頭角をあらわしてきたのは結局一見地味で冴えない人たちだと気づいた。あるいは私の職場が特殊なだけの話かもしれない。PCを使う業務はあるがそれが必須になることはない。頭角をあらわした人は正直そういうスキルがほとんどなかったが、その分こちらの言ったことをすがるようにして守った。そのためうまく行ったときはもちろん、うまくいかないときも原因の特定が素早くできた。最初からスキルがある場合は人によってムラがでる。無駄な装飾を施そうと試み、道迷いをおこす人がいる。そういう人に「言われたとおりにやればいいんだよ」とは言えないし、言ったとて期待した効果は出ない。はるかにスキルの高い人、あるいは謙虚さのスキルがある人は最後まで自分の能力をひけらかさない。謙虚さのスキル、と言ったがそれがスキルなのかは知らない。


話は変わるが、天動説から地動説に世界の認識が変わったのは、天動説を信じた人がみんな死んだからだ、という話をどこかで目にした。人は変わらないということだろうか。私はリアルタイムに天動説から地動説に乗り換えられる人になれたらと思う。私の時代の天動説が何なのかはわからない。案外簡単かもしれないし、当たり前すぎて疑うという発想すら持てないかもしれない。変わり者と周りから思われるだろう。私はそれくらい自分を軽く扱えたら、と思う。