意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

一日を振り返って

そういえば金曜日は休みを取って市役所まで歩いていった。市役所は街の中にあり久しぶりに行ったら色んな景色が変わっていたがもう何が変わっていたか思い出せない。家に帰ったときに家の前に妻の友人が犬の散歩ついでにやってきていて、その人に「ずいぶん変わったね」と言ったことだけ覚えていてだから変わったのだ。市役所の職員はびっくりするくらい寡黙に仕事をしていてそれは窓口の前に大勢の人が待っているからで、そう思うとなんだか気の毒な気がした。私なんかは仕事をするときはもっと騒がしいし誰かの悪口ばかり言っている。悪口も私なりのエンタメ性は維持しようと思っている。必ず自分のターンで終わらせたがる人がいて、でも上司だから適当に話を合わせている。そういうことができない市役所の人はかわいそうに思えるが見えないところではいい感じにやっているのかもしれない。私に応対してくれた人は最初の人は馬鹿に丁寧だったがその後の人は愛想がなかった。それを夜に会った父に話すと
「昔より良くなったはずだけどなあ」
と首を傾げた。もちろん「お役所対応」という言葉があった昔よりは全然いいと思う。


私の会社にもお役所対応的な部署があって話をするたびに嫌な気持ちになったが段々と社内で問題になってあるとき解体された。一部署なのに一種の宗教味があって例えば「お疲れさまです」が禁句なのである。さらにディープなところに行くと話をするだけで「どうしてそんな質問するのかわからない」と上から言ってくる。最初の1、2回は私も怯んだが相手の出方を知った後は「次こそガチンコで言い合いしてやる」と意気込んだが次は訪れなかった。社内でその部署の対応が問題視され責任者が謝罪する事態となった。ディープな人たちは辞めるか異動となってそれから関わることがなかった。残った人は比較的まともでコミュニケーションに余計なコストを払わずにすんだが、それでも癖が抜けないような人もいる。実害はないものの会議での話し方を見るとどうしてこんな感じの悪いしゃべり方をするのだろうと不思議に思ってしまう。常に上から目線でしか物事をとらえられないようである。