意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

携帯があれば生きていける

親知らずの治療のため山の上の病院まで来た。本当に山の上かはわからないが坂はのぼった。さびれた駅を降り、しかしここは大学が近くにあるから若い人が多かった。私も大学生に遠目からなら見えるかもしれないと思ったが、すれ違う学生の顔はみんな幼く、せいぜい小学生にしか見えない。私は小学生のように振る舞わなければとても大学生になんかには見えないのである。そういえば甥の小学生などは幼児同然で、私が小学生の頃は子供っぽいのは恥ずかしいと思ったが今は平然と幼児然として時代は変わったと思う。小学生になる直前に母に添い寝を希望したら父に「そういうのは小学生になったらやめたほうがいい」と注意された。寝室の和室から見える廊下の壁の木目が、人の顔に見えて怖かったのである。添い寝をやめるためには壁を取り替える必要があったが、それを申し出る勇気はなかった。父が怖かったのである。しかし添い寝がないときは一刻も早く寝ようと集中するから案外すっきり目覚められるものである。


大きな病院は完全に分業化されているためあちこちに行き来して大変に時間がかかった。レントゲンのあと
「先ほどの場所に戻って」
と指示されてどこなのかわからなくなり取り乱しそうになった。それでも目的があるのは考えることを放棄できて楽だ。間違えたら正しい行き先を聞けばいいのである。私にもまだまだプライドがあるが間違えてもひょうとしているようになりたいものである。


レントゲン写真を光る壁に張り付けているのを見て、かつて私は頻繁に病院を訪れる子供だったことを思い出した。私は小児喘息で幼い頃は毎週水曜か、隔週水曜に病院へ行かなければならなかった。病院は隣町にあり、車でゆうに30分かかる距離だった。発作が起きたり具合が悪くなると車の中で嘔吐するので後部座席にはバケツが置かれていた。前述の光る壁も含め、それが私の日常風景だった。


ふと記事を下書きにしてみたらこの記事のタイトルは「携帯があれば生きていける」だった。これは待ち時間にずっと携帯をいじっていたからで、家でも病院の待合いでもやっていることは同じだから待つという行為は携帯のおかげでなくなったのである。