妻がフジテレビの「ザ・ノンフィクション」を見ていてそれは録画されたものだったのでいつ放送されたものかわからない。浅草の洋食店に就職した若い人が辞めたり続けたりする話だった。私自身も今は若い人の面倒を見たりするので重ね合わせてしまうぶぶんもあった。お祖母ちゃんにプリンを食べさせたり料理をするのが好きなのでやってきたという女性は早々と「私にはホールのほうが向いている」と言い出し、やがて過呼吸になって辞めてしまった。ホールというのは料理を運ぶ人のことである。実は3人の男女が就職していて、プリンの女性だけがホール担当となってそこで軽い挫折を味わっていた。それは前回の話だったので詳細はわからない。しかし腐らずせっせとホールをやっていたらある日サラダを作れと言われ作ったら意地悪な先輩に「もっと見かけを気にしないと」「こんなぐちゃぐちゃなのお客さんに出すわけ?」言われしょげてしまった。その悔しさをバネにして、という考え方もあるし欠点をズバズバ伝える方がコスパがいいのは間違いないが私はかつてプリンを振る舞われたお祖母ちゃ
んも「見栄え悪いな」と思ってたのかなとか考えて気の毒になってしまった。お祖母ちゃんはもう病気でほとんど食事をとれずにいて、それでも孫をがっかりさせたくなくてプリンを食べたのかもしれない。
それで明るさが取り柄の女性もそれがきっかけかは知らないが徐々に暗くなってオーナーシェフにも厳しい言葉をかけられ過呼吸になって辞めてしまった。私は夢を追うというのがなんだかとても不幸せなもののようにかんじてしまった。この後また新しい若者がやってきて「いつか自分の店を持ちたいと思って」と言っている。それは結構なことかもしれないが、彼はこの後ずっと店を構えた将来の自分と今の自分を比べ続けるのである。先輩に「お前こんなぐちゃぐちゃな盛り付けでお客さんに出すわけ?」意地悪な叱責を受け、自分のプライドを守るために「実は俺料理人とか向いてないのかな」と考え出すのである。「それで嫌になるなら最初から向いてなかったんだよ」という考え方が結果論みたいで私は好きになれない。それはただの誘導である。
自分の店を持ちたい、と言った若者が「朝から晩まで好きな料理のことを考えたい」ということとはイコールにならないことが、どこまでわかっているのか不明だ。私はいくつか勤め先を変わったが、その半分は入ってみるまでどんな業務なのか知らなかった。だから比べる将来の自分がいなくて幸運だった。知らなければ目の前のスキルの習得に素直に喜ぶことができたからである。