意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

学生はつやつやしている

お昼をとろうとコンビニに入ったら学生がたくさんいた。正確に言うと私が入ったときは客はほとんどいなかったがあとから猛烈に人がやってきた。大学がそばにあるからそこの人たちがお昼を買いに来たことは容易に想像できた。しかし土曜日なのであまり人はいないと思っていた。学生の中には「人多過ぎじゃね」とボヤいている人もいたから学生からしてと意外な展開だったのかもしれない。私は学生たちの開けっぴろげなかんじ、慎みのないかんじが怖かった。社会人になるとそこで気付くが人はみんなバリヤーを張って干渉しないのがデフォルトなのであるが、学生のバリヤーはまだまだ薄い。「ジャージャー麺しか勝たん」とか「今日は朝からイライラしてるんだよねー」という言葉が耳に入ってきたがそこには他人を出し抜こう、自分以外を否定しようという意図が伝わってくる。だから私は肩身が狭かった。


というのは私の妄想かもしれないが学生はみんなつやつやしていた。私の子供が社会人になって、一気に疲れた顔をするようになったが、そうなる前はやはり学生のようにつやつやしていた(学生だったから)私もよく母に「疲れた顔をしている」と言われるようになった。そう考えると人は経済的な自立を始めたタイミングで老いるのである。男の学生がだぼだぼのパジャマみたいなズボンを履いてうろうろして、どうして大人はこういうのを履かないのかと考えた。「社会」に出たときにすでに私たちは自分の人生を取り上げられてしまったのかもしれない。