意味をあたえる

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人生で選択できる場面なんてそんなにない

人生のバカンスを満喫している - Letter from Kyoto

上記のブログを私は気に入って読んでいて、気に入る、というのはいくつか種類があって、こちらのブログの場合は、読み終わった直後の私の思考が、この人の文章のようになってしまい、だからそういう状態で私が書き出せば、多分すごく似たような感じになってしまうかもしれない。しかし彼の文の場合は一人称は「僕」であり、私は私だから、やはりそこまで似ない気もする。一人称が文体に与える影響は大きい。しかし似ている、と思う人もいるかもしれない。

上記のブログの中で、彼は「自分が選択を放棄したからこそ今の自分がある」という旨のことを書いているが、ところで一方の私は結婚をして子供も二人いて、そういう選択を自分でしたのかと言えば、決してそうではないと思っている。

以前勤めていた会社で、私が辞めるということになったので送別会がひらかれることになり、私は実のところその会社には派遣で半年しか勤めていなかったから、半年前にもやはり送別会はあったので、変な感じがした。ところでその会社というのは都内にあり、お好み焼き屋であったが、東京都のお好み焼き屋は店員さんがひっくり返してくれたりするので、大変楽だった。もちろん東京都内のお好み焼き屋がみんなそうだということにはならないだろうが。それで、お好み焼きをみんなで食べながら結婚の話になり、私以外は1人しか結婚している人はおらず、それ以外の6人も私とだいたい同じ年か、年下だったので私はだんだんと調子に乗ってきて、
「結婚するかどうかなんて、自分では決められない」
なんて言い出した。すると結婚している側の1人、その人は岩本さんという名前の人だったが、
「全く飯村さんの言うとおりだ。俺の場合も、いろいろバタバタしていたら、いつのまにか結婚式当日になっていた、という感じだった」
と全面的に同意してくれたので私は嬉かった。嬉しい、というのは岩本さんはメンバーの中では最年長で役職もマネージャーという立場であるから、まるで部署内の意思統一が、そこでなされたような錯覚を覚えたからである。

しかしそこの会社は組織関係が複雑で、実は岩本さんは、私たちの直接の上司というわけではなく、本来の上司とはウマが合わずに、途中から席もどこか違うフロアに移動してしまった。岩本さんがいた場所には今度は中国人の女の人がきて、その人はとても背が高かった。だから岩本さんは実はお好み焼きを食べてはおらず、結婚の話については、全然別の飲み会の時だった。ちなみに私が辞めてから少ししてからサブマネージャーの中沢さんという女性が結婚をし、その人は紫色のストッキングをいつも履いていて、白いコートとの組み合わせがとても似合っていた。お寺さんの娘ということで仕事中でも椅子の上で正座をすることが多く、そういうのが脚の美しさにつながっているのかもしれない、と当時の私は分析していた。