意味をあたえる

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またよしじゃないほうの人

昨日テレビを見ていたらまたよしじゃない方の芥川賞作家の人が出ていて
「ことわざを作りましょう」
というコーナーで蒟蒻がどうこうというのを作ったら判定員に二点とかもらってムスッとしておもしろかった。そして
「小説家というのはことわざというのが元来苦手なものであり、というのも言葉のイメージをいかに拡張するかが物書きの腕の見せどころであり、ことわざといのはその反対、言ってみれば即席麺のようなもの」
の自分理論を展開していた。私の定義する自分理論とは、自分が精神的窮地に追い込まれたときに発動する理論のことである。もちろん発動の目的は自分を窮地から救うことであるが、ほどほどにしないと
「言い訳がましいやつだな」
と鬱陶しがられる。先日私の会社で社内ルールが若干変わったが、それに対応できていない人がいて、それは共有スペースに関する問題だから最初は誰が犯人なのかわからなかった。最初は私と先輩で、派遣の人とか、営業所で使えなくてこちらに回された人とか、そういうのを疑ったが、違った。そういう人なら首根っこをつかんで(比喩)
「違うんだけど」
と言えば済むので楽だったから、私たちは落胆した。それで結局ベテランの人で、私は私からしたら先輩だから、むしろ注意すべきは私じゃないと思って、ちょっと安堵した。先輩はベテランよりも先輩だからハズレくじを引いたような顔になって、
「あの人すぐ自分理論展開するからなー」
と舌打ちをし、結局「保留」になった。社会人は「保留」をうまく使えるようになって初めて一人前なのである。

ところで芥川賞作家のまたよしじゃないほうの人を見て、私は
「Yさんに、似ているなあ」
と思った。Yさんは秋に結婚をし、正月に新婚旅行のお土産を持ってくると言うので、そのとき忘れずに
「似ているね」
と言ってあげようと思った。「よく言われる」と返されるかもしれないが、世間の人はたいていはまたよししか見ないから、案外誰も指摘してないかもしれない。私は秋に挙げられた結婚式に出席したが、そのときにもらった引き出物のカタログギフトをずっと放置し、このまま期限が過ぎ去ってくれればいいとすら思っていた。何かを選び取るのが苦痛だった。しかしそういうことをすると妻や家族に変な目で見られるし、もしかしたら送る側になにかしらの迷惑をかけているのかもしれないので、一昨日に申し込んだ。ガンダムのプラモデルにした。

披露宴では、私は私の知らない人たちと同じ席になって、そこには二組の夫婦がいて、今年の年末はどこで過ごす? みたいなことを片割れが訊いて、訊かれた方は
「うちはなんと......今年は国内です!」
と一大事のように言って、つまり例年ならば海外だが、今年は何かの都合なのか、またはどうしても行きたいところがあるのか、なんにせよかなりの所得の世帯であることがこのやりとりでうかがわれた。私は、新郎の名誉を傷つけては本意ではないので、
(国内? ずいぶん酔狂ですな)
という顔をしてにこにこ聞いていた。私は国内どころか県内であった。しかしそういうやりとりに、男が口を挟まないのはなんでだろう。