意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

今年も暑くなりそう

物置を片づけると義母が言ったので中身を運び出した。義母は耳が遠いので私はとくに意見せず言われたとおりに物を運んだ。バドミントンのラケットとかバーベキュー用の鉄板とかビーチパラソルの根元とかひとつの家族の記憶がおさめられている。義父は去年の春に死んだ。物置のほとんどは薪だが義父以外は焚き火をしない。私も薪に火をつけることはできるが今はそういうのは問題になりそうだからしない。子供の頃はした。私の家には庭があってその先には畑もあったから燃やす物に苦労はしなかった。枯れ木だのはいくらでもあった。生ゴミも庭に捨てた。その根元にはカブトムシの幼虫がいた。いや、私の家にはカブトムシはいなかった。クワガタなのかカナブンなのかその他なのか、カブトムシに比べたらだいぶ貧相だった。それでもカブトムシの可能性も捨てきれない気がした。私の両親が年をとるとスイカの皮なども庭に捨てた。そうするとカブトムシがやってきた。カブトムシがいると孫が喜んだ。孫とは私の子供である。私の子供時代はカブトムシなんてそんなにお目にかからなかったのに時代は変わったと思った。そういえば私の子供の頃には祖父母の家にはカブトムシがやってきてつかまえといてくれた。カブトムシは梨の実にへばりついていた。祖父母の家には梨畑があった。低い木なので小学高学年になるとかがなければならなかった。柿の木もあって大きく曲がっていたのでとても登りやすかった。私は木登りが好きだった。

 

 

話を戻すと物置を片づけていたら妻がやってきてその他の物も片づけ始めたので私は手が空いたが家の中に入っていいのかわからなかったのでその場にいた。その場にいるととても寒かったので縄跳びをした。縄跳びをしたら自分の腕の重さにびっくりした。肩の筋肉が弱っているのだ。縄跳びをしたらいくらか体が温まった。今朝も寒かったがそのときほどではなかった。やはり日差しが強い気がする。今年も暑くなるんだなと思った。

眠れないのは労働が足りないから

子供の頃眠れないと言うと父親にタイトルのことを言われた。私は当時子供だったので労働はできなかったのでスクワットをして寝た。スクワットはどこかのテレビで「ケツ上げ」と言われていた。師匠の期待を満足させられなかった弟子が罰として指示からケツ上げ100回を指示される場面が放送された。私はそれを見て父親にケツ上げとはそんなにしんどいのか? と訊ねると父はやってみろよと言うのでやったら本当にしんどかった。それから数十年経った先日に私の子供が私の父親の前で眠れないと言ったら全く同じことを言われていたので驚いた。またその少し前に父親が昔話をしたときがあってそのときに「夜中仕事をしていたら眠くて仕方ないから庭の草むしりをしてしのいだ」という話を聞いたので父親はなんでも労働で解決するタイプなのだと思った。確かに父親は仕事人間で家に帰ってこないときもあった。しかし私の家はまったく裕福ではなく、私の家は私が中学になるまで平屋だったので父は労働が目的のタイプなのである。平屋だったので友人がよく私の家の屋根に登りたがった。父がそれを見たら怒ると思ったが父は仕事であまり家には帰らなかった。

 

昨日他人のブログを読んでいたら仕事が休みの日は1日布団の中でスマホをいじってよろしくないと書いてあって、私はとても難しい時代を生きていることを実感した。良い休息の取り方みたいな指南書が売られており私も脳の休息は寝ることが解決になるとは限らないみたいな本を読んだがつまらなかった。コスパとかタイパとかが行くつくところまで来たかんじである。私たちは休息もコントロールしてパフォーマンスを改善しなければならない。あるいはそれは冗長性というのにも似ている。もしものリスクを避けるため、短期的なパフォーマンスばがり追うのではなく長期的なパフォーマンス改善が王道ですよという話である。自分を甘やかしましょうとか、何もしないのが重要という休息に対するアドバイスもあるが、結局は冗長性につながるから同じである。

 

私が微力ながら解決策を提示するとすべてを諦めると好転するかもしれない。あるいはこれは大きな話になるが真面目な人がよろしくないという風潮になれば変わるかもしれない。あと今思ったが現代は情報が洪水のように押し寄せる時代だ、というのでできるだけたくさんの情報を取り込もうとするとそれが労働につながって眠れるようになるかもしれない。スマホを10台くらい用意して休みの日はそれらを全部並べて別々の画面を同時に見ようとするといいと思う。お金がかかるのでスマホは中古でも良しとする。

クマとネギ

夢に熊が出てきた。とても高い建物の屋上で私はなんとか熊に遭遇しないようにしていた。屋上にくる階段は3つあり、3つも階段があるなんてファミコンロードランナーみたいで変だが夢だから変ではなかった。ロードランナーは階段ではなくハシゴだった。屋上には空のラーメンどんぶりが2つ重ねられていて使い終わった箸もつっこまれている。ひとつは熊が食べたラーメンである。もうひとつは誰が食べたか知らない。私はそのラーメンどんぶりを階段を上ってくる熊の頭にぶつけられれば、と思う。そうすればダメージを与えられるかもしれない。


というところで目が覚めた。5時半だった。書き出すとふざけた内容だが緊迫感はあった。うまく寝つけなくなったので本を読んだらすぐ眠くなってまた寝た。仕事にくるとちゅうで熊沢のことを思い出した。熊沢は小学校時代の友人である。熊沢はおかしな夢を見る人間で、しょっちゅう見た夢の内容を学校で話していた。熊沢の夢の中で私はよく死んだ。だからこの文章のタイトルも「熊に殺される」とか書くといいような気がしたけどやっぱやめた。熊沢は背が低くて痩せていてすばしこい系の男子だった。サッカーをやっていたがあまり威張ることもなくみんなに「クマ・クマ」と呼ばれて親しまれていた。特別仲が良かったつもりはないが一緒に帰ったり同じ係をすることが多かったと思う。班旗をバットの代わりにして小石を打って遊びながら帰るときに私が小石を空振りするのをクマはバカにしたがあまり嫌な気はしなかった。その頃はバカにされてもかわす術は身につけていたし多分私はクマの頭のわるさをバカにしていたのだ。その頃とは小6である。私も熊沢も通学班の班長で各々班旗を持っていた。

もうひとりネギと呼ばれる友人がいて彼も班旗に小石を当てることができた。彼もまた班長だった。やはりサッカーをやっていたがサッカーに行くのが嫌で土曜日の帰りに坂の上のところの縁石に腰かけてサッカーが始まる時間まで粘ったことがある。帰りが遅くなれば親も諦めるだろうと判断したのだ。遅くと言っても土曜日だから1時とか2時だった。私は帰りが遅くなることに少しわくわくしたがネギからしたらサッカーをさぼる当事者だし本当は気が気じゃなかったのかもしれない。坂の上で粘ったのはそこが私とネギの通学路が分かれれる地点だったからである。そこから私の家は5分くらいだったがネギの家は遠くてさらに15分くらいはかかった。国道があって歩道橋を渡らなきゃなので高低差もあった。

音楽

イヤホンを買った。今度はクリップのタイプにした。前回は耳にかけるタイプで後頭部で湾曲してつながるタイプだったがリュックの中に入れていたらあるとき折れた。折れても音楽は聞けたが耳にはかけられなくなった。それなりの期間を使ったのでまあいいやと思った。それからしばらく代わりを買わなかった。出勤退勤でそれまで聞いていたからしばらく物足りなかったがすぐに慣れた。音楽は家で聞いたが隣の住人が気になってあまり聞かなかった。隣の人は夜中に叫んだりするあまり普通の人ではなかった。会社の人に言ったら
「警察呼べば?」
と言われたが警察呼んでもなーと思って結局何もしなかった。そのさらに隣にはお婆さんが住んでいてこの人はサングラスをかけていて多少派手な身なりだが人としてはまともだった。まともだからこの人が警察呼ばないかなーとか思ったりした。そんな感じですごしていたらいつの間にか隣人がいなくなった。扉に南京錠がかけられたのが目印である。だからこれからは気兼ねなく音楽聞けるなーと思ったがやはりあまり聞く気にはなれなかった。上にも住人がいるからである。上の住人はまったく知らないし害もなかったが一度風呂の水をだしっぱなしにしたのか私の部屋の天井から水がだらだら流れてきて難儀したことがあった。意を決して上の部屋を訪ねたがいくらドアをノックしても出てこないので困って管理会社に電話してあちこちのメーターだのを確認させられているうちに水はおさまった。結局上の住人のせいだったが私の方にも被害がなかったのでそれきりになった。水が垂れてきたのが風呂場と玄関だったからである。


久しぶりにイヤホンで音楽を聞くと最初はロックを聞いたがなんかジャズの方がいいなーと思ってビルエバンスを聞いたりした。アップルミュージックでアルバムジャケットを眺めているとビルエバンスの絵のジャケットがあってそれが何かに似てると思ったら昔シャキーンという番組でかかっていたハイテンションサラリーマンという歌に出てくるサラリーマンだった。そう思い至ったらハイテンションサラリーマンが聞きたくなって検索してかけたら誰かの替え歌でしかもアナルがどうとか言うひどい歌詞だった。ハイテンションサラリーマン自体も少し笑えるというか皮肉っぽい歌詞なのでわざわざ替え歌にする必要はないと思う。

孤独の太陽

2週間かもっと前、もう世の中はだいぶ涼しくなってきていて朝外に出たら空気が冷たくて「秋だな」と秋を実感した。私は秋冬が好きではないから寂しかった。ゴミを出すために日向に出たらうなじにあたる日差しが思いのほか強くてうなじがじりじりと暑くなった。その暑くなり加減があまりに秋っぽくないので太陽だけが夏に取り残されてしまったようにかんじた。地球温暖化が太陽を村八分にしてしまったのである。私はこれこそ孤独の太陽だな、と満足しその日仕事をしてから家に帰って桑田佳祐孤独の太陽を聞いた。10代のころよく聞いたアルバムで、その頃は前半の曲が好きだったが今は後半の方が好きだ。どういうところが好きかは書かないが1回か2回聞けば十分である。またそのうち聞きたくなるだろう。


上記のことを書こう書こうと思って時間が過ぎて世の中はどんどん寒くなっている。先週は雨ばかりで洗濯物が乾かなくて難儀した。湿度100パーセントなら洗濯物は永久に濡れたままなのだろうか、というのは今考えて記した。寒くて喉が痛くなって風邪をひいた。私はドラッグストアに行って喉に良いとされる風邪薬を買った。少し前まで風邪をひいても栄養ドリンクを飲んで済ますだけだった。誰かが「市販の風邪薬を飲むくらいなら栄養ドリンクを飲んで横になっていた方がよろしい」と言っていたのが府に落ちたからである。それでも良くならないなら医者にかかったほうが余程いいということである。私はなるほどと思い積極的に医者にもかかることにした。ただここ数年は栄養ドリンクだけでどうにかなった。


どうにかならなくなったのは今年の春くらいで、咳がいつまでも止まらないがそれ以外は丈夫なので医者にかかるのをしぶっていたら咳がいつまでも止まらなかった。試しにドラッグストアで咳用の風邪薬を買ったらてきめんで私は最近の風邪薬はよく効くようになったなあと感心した。そのことを朝礼で話したら「前からですよ」と言われた。

物理攻撃

「UNO」ドロー4好きの女の子に、ありったけ贈る (1/2) :: デイリーポータルZ

ウノのドロ4とかドロ2は物理攻撃でスキップやリバースは間接攻撃で記事の中で「どのカードが好きですか?」て書いてあって振り返ってみると私も物理攻撃のほうが好きだ。そういえばドロ4はワイルドドロ4が正しい名称でただのワイルドというカードもある。これが出たときの拍子抜けというか一見すると物理攻撃なのに実はただ色を変えるだけの地味な効果で外見もドロ4に似ているから余計に憎らしくかんじる。ドロ4は濃い色のデザインでワイルドは薄目だからコカコーラに対するコカコーラゼロみたいだ。


私は子供の頃から自分では頭脳系や博士タイプだと思っていたがゲームに対しては戦略とかがまどろっこしくかんじてしまい、ひたすら力で押す傾向がある。RPGはせいぜい呪文で攻撃力を上げたり相手の守備力を下げるくらいで毒攻撃でじわじわ殺したり相手の素早さを下げてこっちのターンを増やすみたいなことができない。小学生のときは将棋クラブだったがひたすら飛車と角を突っ込ませるのみであるとき矢倉を組む相手が出てきたらまるで歯が立たなくなった。それがシノザキユウイチロウという学年で一番背が低いくせに氏名が10文字もあって、珍しくてそれだけで注目を浴びていたから気にくわなかった。農家の倅でそれなりに裕福らしく入学式のときは蝶ネクタイなんかを締めていて私も当時は小学1年だったが「ちょっとおめかししすぎでは?」と思った。この歳になっていろんな記憶がこそげ落とされているのに、どうしてシノザキユウイチロウの蝶ネクタイをおぼえているのかは不思議だ。彼は私の左斜め後ろの席で教室のほぼ中央だった。さっきから彼が学年中の注目を集める人気者のような書き方をしているが、とにかく背は低いので実はそれほどでもなかった。名前が10文字なのも入学当初は騒がれたが徐々にみんな慣れた。


ところで私はここのところ体調がすぐれず特に目の疲れがひどくスマホの画面を見続けるのがしんどい。引用した記事も登場人物が入り組んでいて関係を把握することができなかった。

電子か紙かの良し悪しはわからないけれど

電子書籍よりも紙の本のほうが良いという意見があるが個人的にはあまり大差はない。確かにぺらぺらめくれないのは不便だしスマホだと画面が小さくて目が疲れる。電車とかで「忘れた!」とならないのは便利だ。紙は重くて疲れるというのもあるし折れ曲がってしまうリスクもある。一方で音楽は買ったCDのほうが音がいい。近頃はサブスクなのでつまらない。家にはプレイヤーもない。買ってもいいがたぶん私は使わないだろう。ブルートゥースのスピーカーを持っているがそれにつなぐのも面倒くさがるくらいだから。


買った方がいいというのは主観だがやはり手触りがあるのはありがたい。もちろんスマホの画面にジャケットの写真を写せば同じことだが何かだまされているかんじがする。最近なぜかチェットベイカーのアルバムが全部ライブラリーに追加されてしまい仕方なしに聞いているがその中にチェットベイカーが船のマストに手をかけながらマストにかけていないほうの手でトランペットを吹いていてそれがとても爽やかなのでこんなジャケットが家にあったら素敵だろうなと思いながら聞いている。ジャケットが気に入れば音楽も気に入るのだ。チェットベイカーなんて若い頃はちょっと聞いてらんなかったが今はちょうどいい。今は小刻みなリズムの音楽の方がしんどくなってしまった。そこに人生を問われるような歌詞が入ってくるといよいよ落ち着きがなくなってしまう。