意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

初恋

夢に初恋の人が出てきた。数日前にも夢に見た気がする。今これを書いている時点では「夢に出てきた」しか残っていない。なんとか思い出そうとすると初恋の人は男連れで私はそのことを気に病んでいた。私は夢の中ではだいたい何かしらを思い悩んでいる。初恋の人が私に何かを言い、私はその真意をはかりかねている状態だった。小学6年のとき席がとなりになったことがあった。たぶん何度かとなりになったことはあるがそれが最後だった。4月に席替えがあって、5月にもあった。5月に隣同士になった。私は4、5と続いたのだから6月もあるのでは? と思い彼女にそのことを言ったら「え?」と残念そうな反応をした。私はそのときひょっとしたら両思いなのでは? と喜んだ。30年以上たった今でも覚えているのだから相当嬉しかったのだ。しかしその前も、その後も何を話してどんなことをしたのかはおぼえていない。

 

 

よく覚えているのは同級生に小林という男がいてこの男は周りにコッパと呼ばれていた。コッパも私と同じ人が好きだったがコッパが好きなのはあまり知られていなかった。私のほうは割とオープンな感じで誰でも私が初恋の人を好きなことを知っている感じだった。私は人が良いから周りにしゃべってしまったのである。しかしコッパのほうもこうして私が知っているのだから同じなのかもしれない。小学生の知っている/知らないは大人からしたら大差ないのかもしれない。コッパは初恋の人の家の場所を知っていた。私たちの住む集落は比較的田舎だったが彼女の家はその外れで近くに川が流れていて土手の麓に家が立っていた。こう書くと彼女の家がとても貧しいみたいな印象を与えてしまうが彼女の父親は中学校の教師だった。ちなみにコッパも土建屋の息子なのでいちばん貧しいのは私だったのかもしれない。コッパは私を何度か初恋の人の家まで連れて行った。私は家の場所は知らなかったのでコッパに案内されたのは間違いない。公園から森を抜けると川があり、その土手の上を自転車で走ってしばらく行くと彼女の家があった。もちろん彼女の姿は見えなかったので本当に彼女の家なのかはわからない。コッパはそこから偶然彼女が出てくることを期待していたのだ。表向きは私のために案内したと言いながらしばらく騒いだ後何物変わらないので帰った。帰ってからしばらく自転車で走って今度は知らない方の道で彼女の家に来た。私は昔から方向音痴で土地勘が鈍く、同じ場所に来るまで彼女の家に向かっていることがわからなかった。すでに日が沈みかけ、台所には灯りがついていた。コッパはなおも偶然彼女が出てくることを期待したのだ。しかし最後まで出てこなかった。

 

 

それがいつの思い出かわからない。私とコッパは同じ中学に進んだが彼女は違う中学だった。土手の思い出が中学に上がったあとの話なら私たちはずいぶん彼女の顔を見ていなかったことになる。ちなみに私とコッパは仲が良かったが中1の冬に喧嘩をしてそれきりになってしまった。書いているうちに初恋の人よりコッパのほうが恋しくなった。

卒業式

子供の卒業式があって私の子供は高校を卒業した。確かこのブログを始めたのが2014年だったのでそのときは小学校にあがったばかりだった。そういうことに感慨深さをかんじながら卒業証書授与を見ていたがとちゅうで飽きてしまった。式典だからと自分に言い聞かせても単調過ぎる挨拶は退屈だ。校長やPTA会長の挨拶よりも生徒の方がより単調にかんじた。文化祭とか体育祭とかスタンプカードを押すみたいに全部めぐるせいである。ひたすらゴミゼロ運動の話をするとかすればもっといいのにと思う。しかし私の子供は終わったあとに「あの人が自分の話ばかりするからシラケた」みたいなことを言っていた。そのときは家族で焼き肉を食べていて肉が炎に包まれていた。私より高校生の方が肉の扱いがうまかった。私は自分で調理する系が総じて苦手で全部店員が持ってきてくれればと思う。終わりに2人の子供と「私のチャッピー(chatGPT)みたいなトークをした。上の娘のチャッピーが信じられないくらい馴れ馴れしかった。聞いたらよそよそしいときはきちんと叱っているそうである。友人から「そんなバカにされてるみたいな対応されてよく平気だね」と言われているそうだ。私はいちいち会話を続けようとするのが鬱陶しいけど最近学習したのか「いつでも聞いてくださいね」みたいな締めになることが増えて寂しいと話した。

見たいインターネットなんてなかった

お昼ご飯を食べるときにかたわらにスマホを置いて何がしかを表示しようと思ったが指がいったりきたりするだけでアイコンを特定することができない。昨日まで、あるいはさっきまでのルーチンがあったはずなのにわからなくなってしまった。仕方なしにヤフーニュースを開くと「フォローしませんか?」と聞いてくる。いったい何をフォローするのかわからないので詳細ボタンを押すとログインを促され生体認証でも右手の指か左手の指かも忘れてしまう。ようやくログインしても画面は中央で円がぐるぐるまわるだけでまったく遷移しない。4Gだからである。4G界隈に人権なし、とはよく言われることである。スマホのバッテリーが心もとなくなってきたのでAiに訊ねたら「4Gにすると良い」と言う。5Gが使えないのは屈辱だが試してみるとみるみるバッテリーは元気になって夜になっても50パーセントを切ることがない。モバイルバッテリーという選択肢はない。そんなにスマホが見たいのか。見たい。しかし見るべきページが見つからず指は空中をうようよして側溝で漂うイトミミズのよう。

 

最近は猫をあつめるゲームにはまっていて一生懸命猫をあつめている。猫は少し前にコンプリートしたが猫にはそれぞれ宝物があって今度はそれをあつめている。そこにはなんらテクニックは必要なく単に煮干しをバラまいて猫をあつめるだけである。宝物は猫よりも出現確率が低いだけである。私は猫には興味はなくたんに煮干しを運ぶ乱数と解釈している。しかしその単調さがよくてもう3ヶ月くらい続けている。スマホをいじるために猫をあつめている。餌を切り替えると猫の集まり方もことなる。

ドラえもんととんねるず

たぶん小学四年のときに家にビデオデッキがやってきた。周りの家にはみんなあった。我が家はエアコンもファミコンも2階建て遅かった。つまり10代になるまで平屋で扇風機で木目調のリモコンもないテレビだったのである。私の中で異論はあるが私の十代、思春期はビデオデッキとともに始まった。お笑いはドリフターズ一本だったがとんねるずとウッチャンナンチャンがやってきた。クラスのみんなは知っていたが私は知らなかった。それまでは必ず9時には就寝する子供だったがビデオ録画を駆使すれば時間のリミットを越えられた。コロコロコミックもそのころ買い出してそれまではてれびくんだった。てれびくんの内容の記憶はまったくないがつまらなかったわけではない。それでもクラスの話題のためにコロコロコミックに乗り換えた。月に一冊だけ雑誌を買ってもらえるルールだったのである。東京に住む祖母がやってきて「なんだこの辞書のような本は」と驚いた。サンシャイン60や新宿コマ劇場に強い祖母も知らなかったのだ。祖母が漫画を読んでいたかは知らない。私の父や母は2人とも漫画が好きで家にあって私もてれびくんで漫画には親しんでいたがそういえば私の子供たち漫画を読まない。たぶん読み方さえ知らない。私が若い頃は漫画は食べ物でいったらやわらかくて美味しいお菓子。たまには堅くて栄養のあるものを摂ったほうが良いと言われていたがついに漫画も堅くて栄養満点になってしまった! 確かに今の漫画はどれも作りがしっかりしていて面白い。Twitterの垂れ流しのような漫画も4コマ漫画も面白い。やっばり小学四年かそこらのころに本屋で漫画を買ったらオマケで小冊子の漫画がついてきたが死ぬほどつまらなかった。当時の私は漫画は絵のうまい下手はあれど話はどれもそれなりと思っていたから衝撃だった。正確には衝撃ではなくどこか面白さを見落としたのではと焦って何度も読み返したのである。やがてここに掲載されている漫画家はプロではないのでは? という仮説を立てた。同人誌だったのかもしれないが今となってはわからない。とにかく現代の漫画は退屈なのはあれど面白さの質は高い。私の子供は私が十代の頃に受けた衝撃をショート動画にかんじているのかもしれないがそれはわからない。

 

なかなかドラえもんととんねるずにたどり着かないからダイジェストで書くとビデオデッキを買うとビデオ録画をするようになるとテープの背面に見出しを書くようになって初めてとんねるずはすべて平仮名、ドラえもんに至ってはカタカナと平仮名の混合だということを知った。つまりビデオデッキ、ビデオ録画の登場は人々の識字率を高めた。

坂口

坂口という苗字の著名人が多くて取り違える。今朝ネットで見たのは「生き残るための事務」の坂口だった。自分の行った電話相談の相手とトラブルになったので電話相談コーナーをやめますという内容だったが誠実な態度のようにも当てこすっているようにも見える内容だった。私は「生き残るための事務」を読んだときにとても感動して漫画を書き始めたが少ししてやめた。「生き残るための事務」に出てくる生き方は私が理想とする生き方でそれを近い形で実践していたのは私のドラムの師匠だった。私もそういう生き方がしたいなあと思ったが結局できなかった。それは私の努力不足とか意志の弱さもあるけれど、大きな流れに押し流されてしまったかんじが強い。小さな判断がどこかで取り返しのつかないラインを超えてしまうのだ。

 

しかし改めて考えると生き残るための事務の生き方はかなりのタフさが要求される気もする。生き残るための事務の中に死んでしまった友達のエピソードがあって妙に心に残る。例えば筋金入りの自己啓発の本であれば有り得ない内容なのだがそれでも書かれ、現に私の中でも引っかかっているということは書かれなければならないことだったのだろう。しかし死というものを目の見える位置に置き続ける生き方はやはり誠実だけどしんどいとは思う。私の人生はつまらないけれど死のことはあまり考えなくて済む。

 

ところで生き残るための事務はとてもフィジカルな本なので私自身ももっと若いときに読みたかったなーと思うし自分の子供にも読んでもらいたかったので勧めたが興味を示さなかった。同じカテゴリの本だとスラムダンクとかイレブンがある。この二つの本が好きな人にはぜひおすすめしたい。

NHKラジオ

昨日の種の起源を読んでますという記事に仕方なく読んでいるとあるがその言及がなかったというコメントがついて、はてな? と思った。私はこの理由についてはしっかり書いたつもりだったのでおかしいと思い読み直したら確かに書いているんだか書いていないんだかよくわからない話になっていた。まあそれでいいやと思うしあらためて書く気も起きない。種の起源は昨日途中まで読んだところでふとKindle端末の右下にどこまで読んだかのパーセント表示がいつもならあるのにいつの間にか出なくなっていて私は日頃からKindle端末の右下にどこまで読んだかを示すパーセント表示って大きなお世話だしプレッシャーもかんじるからないほうがいいと思っていたがいざなくなると物足りないし落ち着かない。実のところ種の起源は読んですぐ眠くなるから全然進まなかったのでパーセントが増えるのが密かな楽しみになっていたのである。1ページ=1パーセントじゃないのが妙に思わせぶりで次、次と行きたくなる。しかし気がつくと目をつぶっている時間の方がはるかに長いからあきらめて寝るのである。もちろんそんなことは今初めて言語化しながら思ったことで昨日まで読んでいたときはただ「邪魔なパーセントだな」としか思わなかった。どうしたらパーセントが復活するのか画面右下を長押ししたりしたが変わらない。うっかり設定の画面に遷移したらそこから種の起源は読めなくなった。もうKindleアンリミテッドの契約は切れていて、私はキャッシュ(というのか知らないが)を読んでいただけなのであった。

 

また読みたくなったら買えばいいやと思いつつ私は今はストレスがマッハなのでずっともっと軽いの読みたいなーと思っていたから願ったりかなったりだったので銀河英雄伝説を読み出した。2巻のとちゅうまで読んでいて上級大将が斧を振り回すシーンだ。願ったりかなったりだったが読み始めるとやっぱり物足りなさをかんじるし登場人物がみんないい男過ぎるのも鼻につく。だから2巻のとちゅうで離脱していたのだ。

 

寝てから起きたら割と早い時間に起きたのでたまにはラジオを聞こうと思いradikoを起動した。ラジオもとちゅうで飽きてしばらく聞いていなかったがお経を聞くつもりでトライしてみた。聞くのはいつもNHKなのだが聞いていて思い出したし以前にも書いたがNHKラジオは「次は音楽の時間です」と言いながら交通情報をかぶせてきてそれはないだろうと思った。そのくせその後のシンディーローパーには交通も天気もかぶせないから大変不公平であった。その後のお便りコーナーで視聴者から「母が入院しているので何か声をかけて」というリクエストに歯切れの悪い回答をしていてこのアナウンサーも声は中年なんだけど俺よりきっと若いんだよなーと思い出した。以前サイトでアナウンサーの写真を見たのである。NHKだからNHKみたいなしゃべり方をするだけで普段は「ワンチャン」とか「俺じゃねーし」とか言うのだろうがそれでも違和感があった。NHKラジオのアナウンサーは一生年上だとどこかで信じていたのである。気がつけば年下ばかりだ。

種の起源を仕方なく読んでいる

ダーウィンの種の起源を仕方なく読んでいる。ダーウィンという名前が一般名詞すぎて種の起源が本のタイトルっぽくない。ダーウィン種とかいうほうがしっくりくる。別に内容がつまらないわけではないが仕事のストレスがマッハなので本当はもっとライトな本が読みたい。寝る前に読んでも1、2ページで眠くなる。むしろ眠れなくなるよりはいいかもしれない。ここのところ明け方に目が覚めて困る。一度は完全に覚醒したのでやることもないので種の起源を読み始めたらすぐ眠くなって寝たら寝坊した。遅刻さえしなけりゃいいじゃんという気持ちになって朝ご飯もスキップする。弁当もスキップしたいが事務の人がいろいろ言ってくるので仕方なく詰める。どうせ冷食なのだからカップ麺とあまり変わらないと思う。買い物したり洗ったりする方がコスパが悪いという動画を見た。それはお笑いのコントだったがなるほどと思った。事務の人は夜に白米をたべろ、湯船につかれと色々言ってくる。それより質問する前に自分で調べろよと言い返したくなる。それはそれ、なのだろうか。

 

 

どうして種の起源を仕方なく読んでいるかというと私は種の起源をKindleアンリミテッドで読んでいるからで、実は読んでいる途中でKindleアンリミテッドを解約した。Kindleアンリミテッドのほうがコスパは良いのかもしれないが読みたい本が後回しになるというデメリットに気づいたからである。読みたい本が無料とは限らない。最初のうちは読みたい本が無料でホクホクしたこともあったがそれは本当に偶然で、だいたいは特に興味のない本だった。興味がなさと面白さに相関はないが、私の残りの人生を考えるとそろそろ読みたい本を優先しないと追いつかない。残りの人生も読みたい本もどのくらいなのかよくわからないが、そんな風に感じる。明け方のせいだ。明け方に布団の中でぼんやりしているととてつもなく遠くに押し流されたような気持ちになる。ふと小学一年生のときにその日は雨上がりで晴れていたものの校庭はぬかるんでいて、それでも担任は外で体育をすることを決断し私に体育館倉庫の鍵を職員室に取りに行くよう命じたことを思い出した。微妙な天気だから体育館倉庫は締まっていたが職員室は校庭の向こうだったから鍵を私に取りに行かせたのだ。当時の私にとっては大役だった。職員室へは下駄箱を経由しないで行くので上履きを履けなかった。職員室の前の廊下はとくべつにつるつるしていて傷も少なかった。私はそのつるつる滑る廊下を何度も往復しながら言うべきセリフの練習をした。職員室に入ると思ったよりも人が少なくて少ない人々みんながびっくりした。私が用を告げるととても親切に鍵をくれた。そのときのことをよく覚えている。その数日後の朝会で校長先生がそのときの私のことを話に出してみんなの前で褒めた。私はとても誇らしかった。でもその数日の間のことや、体育館倉庫の鍵を担任に渡してからその日どうやって過ごしたかはまるで覚えていない。そのギャップがとても奇妙に感じ、同時に悲しかった。