意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

防弾チョッキ

防弾チョッキのようなエプロンを身につけた女が職場にいる。前にも後ろにも大きなポケットがあって色々な物が入る。ポケットが大きいから前にも後ろにも膨らんでまるでガンタンクのような見た目になっているが女の体格もそれなりなのでエプロンの影響がなどの程度なのかはわからない。この女性は私と同い年なのだった。


防弾チョッキはとても仕事ができるが繊細なところもありたまに職場で泣いてしまうことがあった。私は繊細な心を守るために防弾チョッキを着ているのかな、と思ったりした。私の職場にはエプロンを着用する人が多く、というか支給もしているがこのエプロンがとても厚手なので不人気でたいていの人が自前の物を用意してしまう。しかし防弾チョッキのようなエプロンを身につけるのは彼女だけだから珍しい形なのだろう。


ところで使い勝手の悪いエプロンを最初に提案した人がいつのまにか違う部署へ異動になってしまった。最後に会ったときには私よりも若いのに背筋が悪くて一回り小さく見えた。そのことを上司に伝えたがあまり興味のないような反応をされた。上司はそのとき異動のことを知っていたのである。異動の人とは一時期一緒に仕事をしていて、よく会社の人や社外の人にあだ名をつけて笑いあった。仕事が激務で笑いにも大量のスパイスが必要な時期だった。ある人をターゲットにしてその人のエロ本の隠し場所を考えるみたいな遊びをした。

面白くないを成立させるのは困難

【検証】「普通のこと」を4コマ漫画にしたらすごいんじゃないか? | オモコロ

コメント辛辣でワロタ。


私も読んで思ったが確かに普通とは言えない気がした。注意深く読むと内容よりもむしろコマが4つ縦に並ぶだけですでに面白いのである。これはコマに人生で読んだ4コマの面白さが染み込んでしまったためである。例えるなら美味しんぼで出てた鴨だかアンコウのダシが染み込んだ土鍋がお湯を沸かしただけでしみでてしまうのと同じである。コマに染み込んだダシは面白さを狙ったときは大したアドバンテージにならないくせに普通を狙うと大きな足枷になってしまう。例えば4コマの4は起承転結に対応させるというテクニックがあるが普通は起承転結など起きない。なので普通の4コマを書くときには起承転結をしないのがよい、というのは理屈だが実際は起承転結を「しない」ではなく「脱・起承転結を行う」になってしまうのである。「しない」を会得するのは禅とかの道になってしまう。悟りを得た人の4コマはもしかしたら普通かもしれない。


私はなにかに似ているなと思っていてやがて思い出したが私の場合はそれは短歌だった。そういえば短歌は4コマ漫画に似ている。私も普通の短歌を書きたいと思っているがしっくりこないのが現状でそれは4コマ漫画ほど読んでいないからかもしれない。あるいはダシが染み込む4コマのような枠がないせいかもしれない。


もっと範囲を広げて歌の歌詞で衝撃を受けたのが2曲あったがひとつはB'zのイチブトゼンブのカップリングに入っているナショナルホリデーという曲で世の中にはこんなに内容のない歌詞があるのかと感心した。題名通り国民の休日なテーマの曲で昼まで寝てましたみたいな曲である。この曲を聞いてしまうとイチブトゼンブも空虚な歌詞に見えてくるが踏みとどまれるのは「一部と全部」という言葉がどこか言葉以上のものを含むからである。ナショナルホリデーにはそういうものがまったくない。


もうひとつは集団行動の東京ミシュラン24時という曲でこれもご飯が美味しくて店主も喜んだみたいな歌詞で中身がまったくない。先日この曲がラジオでかかっていてこの曲をリクエストする人がいるんだと改めて衝撃を受けた。

描写

円城塔が『コード・ブッダ』で会得した危険な技術と描写の消滅について|畠山丑雄

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描写が書くのも読むのもかったるいとあったが確かにその通りだと思った。昔の欧州の小説を読むときや、また章が変わったときにひんぱんに出てきて読む気が萎えるのである。一昔前のバラエティ番組(アンビリーバボーとか)のCM明けにCMに入る前の部分があらすじ的に入るのに似ていると思ったらあんまし似てなかった。似ているのは(かったるいなー)と思うことだけだった。あのやたらと手前から再放送する手法はいかにも視聴者をバカにしているみたいで、どうせ続きが気になって視聴を中断できないでしょ? と言われているみたいでいつも暗い気持ちになっていた。


今小説から描写が消えつつあるとあって今の小説に興味が出てきた。しかし読みやすい小説がつまらないのも事実である。「一気に読めた」というのがほめ言葉になっているが裏を返せば何の起伏もなかったということである。ストーリーには起伏があったのかもしれないがそれは「一気に読める」小説の条件のひとつにすぎない。本屋の本の帯に「思わぬ結末」と書いてあるがつまり私たちは「何かが予想を裏切る」「タイミングは最後」と教えられているのである。本当に起伏に富んだ小説はむしろストーリーが破綻していたりする。しかし起伏に富んだ小説は読むのが疲れるのも事実なので敬遠されるのも事実である。なんとなく私は山の中を走る自転車を想起したが小説も愛好家だけが読むのが自然だと思うが自転車も初級者用があって舗装された道を走るのがあるでしょとも思って考えるのが面倒になったのでやめる。


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すずめの戸締まりという映画を見た。ずっと前に私の子供から「面白いから観た方がいい」と勧められていたがたまたま家のテレビのアマゾンプライムに出てきたから「見たい」と言ったら再生してくれた。子供はドラえもんを見たがっていたがすずめの戸締まりならもう一度見てもいいと思ったのであろう。まだ見てないの? と言っていたので気の毒に思ったのであろう。すずめの戸締まりはあまり説教くさくなくて良かった。先の引用の記事に描写はストーリーに説得力を持たせるためにある、とあったが自然物や構造物がきちんと描かれているので気恥ずかしくなることがあまりなかった。私は幼い子どもが無邪気だったり友達がテンポよく突っ込みを入れたりお母さんが理解あったりすると恥ずかしくなってしまうのである。そこに大ミミズは人間の愚かさの象徴とか来てしまうといよいよシラケるがミミズはミミズで蝶々は蝶々なので良かった。本当は蝶々も「これはすずめの○○を表していて最初と最後で羽の模様が違っているのは恋をしたからなんです」とかあるのかもしれないがそういのはたくさんだった。そういう意味で男主人公が早い場面で椅子になったのも良かった。欠けたイスの脚が最後まで出てこないのも良かった。見終わってから子供に感想を求められたので「大きな株みたいで良かった」と言ったらそれ以上何もきかれなかった。

空を手前に

昼休みにぼんやり外を眺めていたら私のいる建物には長い庇がついているがその先には鰻屋があって鰻屋は見えないが駐車場の気が見えてその左にはアパートがあってその間の空が三角形になっていた。風景の奥の奥には常に空があるのである。つまり空色の絵の具を持っていれば風景は描けるのである。空色が水色か黒かは知らないが。


私は反転を試みることにした。つまり三角形の空が手前にあって鰻屋の木やアパートや庇の一部を隠しているという構造だ。これはかなりの頭の体操に持って来いだった。具体例は思い浮かばないが出っ張っている物をわざと引っ込んでいるものとして見たりすることもある。しかしそれは二次元かもしれない。小学生の頃にクラスメートの絵を見たらその人はお寺を書いていたがお寺だけに色を塗った状態で私は衝撃を受けた。いや、お寺以外に色を塗った状態だったかもしれない。

私pad

今週から絵を書き始めてる。スケッチブックは数年前に買ったのがあってアマゾンの袋に入って封も開けずにそのまま棚と壁の隙間に突っ込んでいたのを出したらホコリがすごかった。宛名の白い紙も黄色く色あせていた。鉛筆もずっとコップの上に立てていたのがあって、しかしこれは一体どうやって削った鉛筆なのかわからない。削った物を用意したのかあるときにカッターナイフで削った物なのか定かでない。自分で削ったにしてはきれいでそういえば私の子供の頃はもう鉛筆削りというのがあって私は鉛筆をナイフで削るのは下手くそでいつか母みたいにきれいに削れるものかと思ったがついにその日は来なかった。


私はジブリ映画が好きだったからそれっぽい絵を書いて漫画も書いたがもうそれも昔だしなんてったってスマホもあるから適当に思いついたイラストレーターの名前を検索して写したりしている。スマホは見ているだけだと画面が暗くなるのでそのたびに指をこすりつけた。それから画集でも買ってみようかと思ってある人のを探したらこの人は数年前に炎上したから安く買うことができた。


絵を書くことは特に楽しくはなく無理な体勢で書くから長い時間はできないし仕事にも身が入らなくなるが私は自分の感覚を当てにせずしばらく続けていきたい。文字を模写すると思いも寄らないところが出っ張ったり尖ったりしてそういうのが絵の醍醐味だなとか思ったりした。YouTubeを見るのとは違う脳の部位が使われている気がしてそういうのは面白い。

辞めた気になるハック

クソみたいな職場があるとしてそこを辞めた気分を味わう、または辞めた風な雰囲気を醸し出すのに有効なハックは「自分の私物を引き払う」というものだ。自分の作業場やデスクから私物のマグカップやスピーカーなどを引き払う。そうすると周りからは何があったんだと気にされるのは間違いなし。一方で上司その他には辞める旨などは伝えていないので所属はそのままなのである。あるいは天国から遺された家族の様子をうかがうというのに似ているのかもしれない。


私にはそのハックは使ったことはないし特に使いたいとは思わないが(私物を持って帰ってから翌日に退職の連絡をしたことはある)今の職場では過去にそういうことをする人がいて今日もまた出てきた。最初の頃こそ私も心を痛めたが後の方ではむしろやめてもらった方がいいなと思った。つまり何度か繰り返したのである。相手は私に警告でも与えたつもりなのかもしれないが結局は自分を追い込んでいるのである。癪だったのはその人は私と同じ血液型だったので血液型占い好きのパートに同じ性格だと決めつけられたことであった。

インセクト

寒いので虫のようにじっとしている。今朝はエアコンではまったく歯が立たないので正月に買ったグラファイトヒーターを引っ張り出した。朝なので時間がないので急いで組み立てた。蝶ネジがうまく回らずに苦戦した。向き的に左手です回さなければいけないのが仇となった。右側に持ち変えるには時間がないしヒーターも長い。もちろん私の部屋はヒーターよりは長いがベッドだの机だのあると向きを変えるのもしんどいのである。あと時間がないのである。私はもう朝のことはあまり覚えていないが朝の支度の終盤ならばもうヒーターをわざわざベッドの下から引っ張りだそうとはしないからまだ序盤か中盤なのだ。保管していたダンボール箱にはうっすらホコリが積もりそれがカーペットに落ちるのは癪だったが寒いから仕方がなかった。スープを飲んだが今朝はついにスープを入れる前にお湯で皿をあたためた。本当は皿ではなくマグカップだがスープと記したら急にロシアの小説でも書いているような気分になったので皿と書いた。ロシアの小説のスープは冷めていそうだがサモワールは熱々だった気がする。ドストエフスキーのイメージなので家は狭く、スープは冷め、主人公は熱病に浮かされているのである! 


別に朝からロシア人ごっこをしていたわけではないがヒーターの組み立てにかまけていたらゴミの時間に遅れた。先週までは8時半くらいまで収集はこなかったはずなのに今日は跡形もなかった。もちろん8時までに出すルールなので文句を言う筋合いもない。ビニール袋を手に提げて元来た道を帰ってきた。それからコートのボタンを締め、イヤーマフをつけて家を出た。会社に着いてからは虫のように過ごした。ぽんやりできるのは素晴らしいことだ!