意味をあたえる

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眼帯(7)

※前回
眼帯(6) - 意味をあたえる


今日は1、2時間目は普通に授業をやって、3、4時間目は卒業式の練習で、5時間目は学活だった。学活に何をやるかは知らされていない。給食は明日で最後だった。私の給食着はシミだらけで、だいぶ小さくなっていた。私は1、2年生のころは、確かにカレーだとかの食べこぼしは多く、給食着に染みをつくったりしたが、だんだんとそういうこともなくなった。給食着は四年に上がるときに、サイズが大きいものに替えたので、私の給食着はシミ一つなくなった。しかし、四年になると、私は一部の人からいじめられるようになり、流しで給食着を袋の上から墨汁をどぼどぼかけられたこともあって、それはやはりシミになった。シミというよりも、そのあと母親に洗ってもらったが、かえって汚れが広がり、曇り空のような色の給食着になってしまった。私は、家で母に
「これでどうだ?」
と、母は1日干した給食着を私の前でばっと広げ、それは確かに白かったので、
「元通りになったね」
と私は言った。母は台所の電子レンジの前に立っていて、私は茶の間のテーブルでゲームボーイをやっていた。画面に光を取り込むため、私は猫背になっていた。翌日学校へ行って給食の時間になって着てみると、どう見ても私の給食着は他の人よりも、灰色っぽかった。私は実のところ、母が広げて見せたときも、
(ちょっと灰色っぽいかなあ)
と思ったが黙っていた。母も、母だって大人の目を持っているのだから、灰色っぽいことに気づいていたはずだ。私は、もし私が1日かけて給食着を洗っていたのなら、給食着なんか脱ぎ捨ててずたずたにしてしまいたいと思った。私の給食着の色について、からかってくる人はいなかったから、自分で思っていたよりも、給食着は白かったのかもしれない。

父にイジメのことを相談すると、
「嫌ならやめてしまえばいい」
とアドバイスした。やめる旨を手紙に書いて、校長室へ持って行けば、やめさせてくれるはずだ、と父は言った。それは辞表のようなものなのか? と父に尋ねると、
「少し違う」
と父は答えた。

校長室は、南側の校舎の奥にあり、私たちは北側の校舎にいた。三年生まで教室は一階にあり、四年生から二階になった。六年生は三階で、五年生はその年の生徒の数などの兼ね合いで、三階のときも、二階のときもあった。私は四月の初めには、いち早くベランダに出てソトの景色を見たいと心を弾ませたが、先生は、
「掃除の時間や先生が「いいよ」と言ったとき以外は、ベランダに出ないことにしよう」
最初の時に提案した。先生は小田和子といって、まだ新任だった。授業のときはだいたい教頭先生が一緒で、ときには教頭メインで授業は進められた。そのとき小田和子は、教室のうしろで熱心にメモを取っていた。小田和子はあるときうっかり黒板に寄りかかってしまい、背中がチョークで汚れてしまった。親切な女子が、小田和子の背中を叩いてあげた。その中に岸本さくらもいた。私は岸本さくらと六年間同じクラスだった。