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意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

縁石2

私の車の隣にいた軽自動車には年をとった男が乗っていて、その横のボディの下の方に傷がつき、へこんでいた。縁石に乗り上げたからである。年をとった男は何も気にしていない風を装っていたが、内心穏やかでなかったに違いない。私も最後に車をこすったのはもう随分前だが、そのときはもうこんな車は売っ払っちまおうとか思った。妻が私の車をこすったときもある。私が免許取り立てのころに父の車を叔父の洗車場の壁をえぐった話はすでにしたが、それから一年くらいして弟が中学最後の球技大会でサッカーをしたら足を骨折し、入院するというので着替えを私が届けに行くことになり、そのとき家の前の道をバックで通りに出ようとしたら、やはりそのときも側面をこすった。そのときは自分の家の柵にぶつけたのだが、柵は鉄パイプでできていた。父はもともと家を囲いでおおうのが好きではなく、道と土地との境界にはアスファルトの切れ目しかなかったが、向かいの家には立派なブロック塀があり、さらに道は車一台がやっと通れるような細さだったから、そこを通る車は度々私の家のほうに寄せて車を走らせた。片側からブロック塀が迫ってきたらブロック塀じゃないほうに逃げるのが人間の性である。おかげで私の家の土地は、川が陸地を削るみたいに、徐々に狭くなってしまった。一つの車が私の土地に轍をつければ、次の車はその轍をなぞるようになり、そして何かの拍子に轍のさらに奥を通る車があれば、さらにそれが今度はあるべき通り道となってしまうのである。私はそのことを「轍の暴力性」と呼んでいた。業を煮やした父は土地を守るため、鉄パイプの柵を立てたのである。しかしそこに被害をこうむったのは、彼の倅であった。倅とは私であった。私の車は鉄パイプ同士を留めるボルトの尖りによって真一文字に傷をつけられ、さらには助手席の取っ手の一部が飛んだ。私がある程度のベテランドライバーであれば、車が何かに当たった時点でブレーキを入れ、被害が最小限になるよう対策をとるのだが、私はまだ初心者マークが取れたばかりであり(私の初心者マークは風に飛んでいった)、しかも入院した弟に着替えを届けなければならなかったから、ぶつかったのがわかっても、私はさらにアクセルを踏み込んで強引に突破しようとした。ものすごい音がした。しかしそれらはすべて弟の責任だというふうに私は思っていた。弟は中学時代はサッカー部で、あと家ではゲームばかりだったから頭は私よりも全然馬鹿だったが、三年生になると熱心に勉強をし、担任には
「絶対に無理だ、責任とれない」
と評価された高校に受かった。私は受験直前にそれまで第一志望だった高校をそれより偏差値の低いところに下げ、そうしたら担任が最後の二者面談で、
「このまま行けば大丈夫」
と太鼓判を押したところに進学した。二者面談は廊下で行われた。1月の、冷え切った廊下であった。大丈夫なところに下げたのだから、大丈夫に決まっている。担任からしたら心配の種がひとつ消えたから、嬉しくて力を込めて「大丈夫」なんて言ったに違いない。

それから6年が経って弟が周りに無理だと言われた高校に受かり、そのすぐ後の球技大会に、もと柔道部のディフェンスにフェイントをかけようとしたらうまくいかずにコケて骨折をした。私は数日入院することになった弟に着替えを届けるところだった。母は柔道部の母に頭を下げ、情けない、とため息をついた。第一志望に受かった喜びで浮かれ、体力が落ちているのに無理をしたと思ったのだ。私は着替えと一緒に「カイジ」を届けたらとても喜ばれた。