意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

夜桜見れるかな

帰り道に桜並木の道があるので通って帰ろうと思ったら忘れた 普段のルートではないのである その道は細い川に沿った道であって道も狭く一部コンクリートが剥がれて雨上がりにはそこに水がたまっている 一時期よく通った道だが今はあまり通らない 春になると桜が咲いてそこは地元の桜スポットなのか提灯が下がるようになり歩いている人もいる 私は車なので慎重に人をさけながらそこを通過する それほど人がいるわけでもなかった 人がたくさんいたら私もわざわざ通過しようとは思わなかった 通過するので桜を見るのは一瞬だったがそれで十分だった


昼間は半袖で仕事をするようになり素肌にひんやりとした感覚が心細くて気持ちいい しかしすぐに馴れた いろんな人が髪を切った パーマっぽかった人がストレートになったので指摘しようかと思ったがキモいから止めた 新入社員が私と同じ名字らしい 私とは違う部署だから私の呼び名が変わる方向で調整されているようだ 彼を紹介されたら私は私を呼ぶのだろうか 私の中の何かが誤作動してアプリが起動したりしないだろうか お店の中で妻と別行動をし人混みの中で妻を見つけようとするときにぼんやりしていても妻の顔を発見できるのはなぜなのか 人間というのは意外と強固なのだ だから私の名で私以外の人が呼ばれても「おっ」と思うくらいで済むのである 仮に間違って返事をしても「間違いですよ」と言われれば間違ったと認識するのである 当たり前を噛み締めるなんて「ソフィーの世界」読みたての哲学者の卵みたいですねと言われそうだが痴呆の始まった人が散歩中に迷子になって思考はふつうなのに帰り道だけが出てこないみたいな話を聞くとやはり強固なだけのものなんだと実感する