意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

夢は文字か

1今朝こんな夢を見た。

2(こんな夢の中身)私は高校サッカーを見ている。スコアは12対5であった。前半か後半かはわからないが、前半だったかもしれない。するといきなり、勝っているチームのほうの5人が、ゴールの脇で制服に着替え始め、制服はブレザーであった。ユニフォームの上に直接羽織ったから、ワイシャツの胸元に、ユニフォームの赤だか黄色だかが見えた、私はユニフォームの色を思い出せない。5人のうち1人は、頭にパーマをあてていて、私の知り合いに似ていた。そして着替えが終わると、「ふるさと」を歌い始めた。おそらく3番まで歌った。ゲームは結構な時間中断した。私は「これはまずいんじゃないかな」と思っていたら、やはり5人全員が一発レッドで、退場となった。私は、大量リードで余裕なんだな、と思った。しかし、いくら現実離れした点差とは言え、5人も退場したらすぐに追いつかれ、逆転してしまうのではないかと心配した。そういう場面を、私は実家のテレビで見ていた。私は、最初来たとき、玄関に届け物が置いてあって、だから留守なのかと思ったら父がいて、私は父に「宅急便が来ている」と教えてあげた。差出人のところの名前は、私のよく知っている人のような気がしたが、私は思い出せない。茶の間で、父は随分とストーブに近い位置でテレビを観ていた。ストーブは石油ストーブで、電池で着火するタイプだった。父はそこに、ほとんど右耳をつけるようにしていた。ストーブには火がついていて、火力は最大なのか、火が筒の先から飛び出してゆらゆらしている。私は父が火傷するのではないかと心配になり、また火力をゆるめることもしないから、父はボケてしまったのではないかと思った。そうするとこれは未来の話ではないかと考え目が覚めた。

3最近、「あなたの夢はカラーですか? 白黒ですか?」というのを見かけて、私は考えてみたのだが、私にはわからなかった。私の夢はカラーでも白黒でもなく文字なのかもしれない。先ほど書きながら、サッカーチームのユニフォームの色はわからないのに、審判のレッドカードはすぐ判別ができたことに気づいたが、これは退場という行為から導かれたのであって、赤いカードが目に焼きついたわけではない。夢というのは当たり前だけど、現実に見たり聞いたりできるものではなく、思考か想像である。だから思考と想像とは、そもそも映像なのか音なのか文字なのか、という話にもなるのだが、多分それは人によって様々だ、ということになりそうだ。私はおそらく文字だ。しかし、いつもそうだけど、今日も夢のことを書いているうちに、それが実際見た夢からどんどん乖離していってしまう。それは夢に限らず、こうやって文章を書くときも「書こう」と考えたことは、文字にすると最初考えた通りには書けない。もし思考が文字なら、それを写せばいいだけの話なのに。

4そう考えると思考とは文字と見せかけて、実は感情なのではないか。私たちの思考は、脳神経に電気が流れて行われると、聞くが、その電気の流れる感触というか、流れにくさや、辿るコースの複雑さなどが、ある感情(文字)を呼び起こし、呼び起こすのも電気で、つまり同時進行で色んな回路が関連しあって、文字は連なるのではないか。

5だが、それとは全く別に、別というのは今の電気の話と別という意味だが、思考とはやはり文字で、なぜ文字を起こせないのかと言えば、ここで書いているのは文章だからで、つまり文字と文章は全くの別物ということである、というのを書きながら突如思った。そして、文章とは、書こうと思っていた対象を忘れさせる、あるいは対象に抱いた感情を消させる力を持っている。コンピューターに例えると、どこかのメモリが解放されるようなイメージだ。

記憶の石

1小学校1年の頃に、親子で川原に石を拾いに行くという行事があった。あるいは、あった気がする。石を持ち帰り、そこに絵を書くのだ。石は重いし、それと尖っているのもあるから、先生は前日に
「袋は必ず二重にして持ってくるように」
と指示した。怖い先生だったから、それに今回は親も一緒だったから、全員が袋は二重にしたはずだ。それでも帰り道で穴があいてしまった生徒もいた。その人は欲張りで、石を詰めすぎたのである。帰り道は砂利道で、両サイドにススキだとか背の高い草がせり出してきていた。親子は肩を寄せ合うようにして、来た道を引き返した。私は持ち帰る石はほどほどの量にしたから、穴はあかなかったが、それでも重かった。当時はまだコンビニなんてなかったから、用意したビニール袋はイトーヨーカ堂のものであった。私はそのときはもう小学生だったから、おそらく袋は自分で下げて帰った。

2その1年か2年前に、私は幼稚園児であったが、そこでアサガオを飼育しようということになって、各人に青い植木鉢が配られ、まずは植木鉢に石を入れると説明があったので、私たちは列を作って駐車場へ行って石を拾った。幼稚園の建物は丘の上にあり、駐車場は下だったから、私たちは坂を下った。坂はコンクリートだった。私はこんなおおぜいで石を拾ったら、駐車場の石がなくなってしまうんじゃないかと心配になったが、石はなくならなかった。駐車場にはバスが2台停まっていて、バスは黄色かった。私はかつてバスの中で前の座席の子に顔のほくろが多いことを指摘され、その数を数えられ、私は泣き出してしまった。

3石を入れた後は、砂と土を入れ、砂と土は庭の方で入れるので、坂を登らなければならなかったが、石の入った植木鉢を持っていたから、普段よりも足が重かった。コンクリートは横向きに溝が掘られており、溝には細かい砂が詰まっていた。坂の左右には硬そうな葉をつけた木が生い茂っていた。たまにそれをもぎ取る子供がいて、それらは通貨として使用されたりした。門は古く、黒かったが錆びている部分は塗装が浮いて、剥がれていた。

4そうやって手順通りにアサガオの種を蒔いたが、私のアサガオはいっこうに生えてこないから、私は不安になってきた。

(つづく)