意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

私は今日は仕事は休みであったが、妻も休みであり、子供もはやく帰ってくるので、いつものようにのんびり過ごすことはできなかった。というわけで昼にはネモちゃんを迎えにいかなければならなかった。私は携帯のタイマーをセットし、アラームでちょうど12時に鳴らせば良かったが、この前会社でカップラーメンを食べたときにタイマーをセットしたときの画面だったので、そのままダイヤルをぐいっと回し、20分に合わせて本を読んで待つことにした。ダイヤルはぎゅるるっと勢い良く回ったが、携帯といってもスマホなので、回るアニメーションなので、どこかの歯車とか爪とか、そういうのが消耗する心配はない。消耗されるのは、むしろ私たち現代人のマインドなのだ、、、。
スマホと言えば、私は最近小説を集中的に書いていて、書く、というよりも書いたものを読む作業で、書くよりも読む方が目は疲れることがわかった。手は、すぐに音を上げるが、目は案外もつので、酷使してしまうのである。暗いところでずっと凝視していたら、目の焦点がぜんぜん合わなくなってしまった。ちなみに私は子供のころからゲームだのやっている割には目はいい。1.2から1.5の間を行き来している、毎年の健康診断では。その秘訣は、これは私が勝手に思っているだけだが、あまり熱心にものを見ないで目の筋力を温存することである。私は物を見るとき、厳密には見なくても支障ないときは、焦点をぼやかしていることが多い。人の中には、ぼやかす、という行為があまり気軽にできない人もいるようなので、やはり私の目の疲労度は、他の人よりも軽いのではないか、と思っている。
ところでさっきは子供の頃からゲームだのを、と書いたが、私の家はテレビゲームが禁止であり、私が小学5年までファミコンはなかった。周りにもそういう家庭はあり、理由は様々で、目が悪くなる、テレビの写りが悪くなる、等があった。私の家は後者であったが、それならと、私はゲームボーイを正月に買ってもらい、それに興じた。しかしそのときはまだゲームボーイが出たばかりの頃で大変な人気で、どこにも売っていなかった。そのため私は叔父と秋葉原まで行き、そこでようやく見つけたが、そこで購入するためには、他に指定されたファミコンのカセットを2本買わなければならず、私はそのとき初めて抱き合わせという言葉を知った。私は諦めることにし、たしか家の近くのデパートの玩具売り場には、5階にあったが、レジの横にゲームボーイの箱が平積みされているのを見た気がし、だから家に帰ったら、まず丸広に行こうと思った。そのときは東京にある祖父母の家に遊びに来ていたのである。
しかし、その抱き合わせのファミコンカセットについては、叔父が買ってくれると言ってくれ、確か5種類くらいある中から2本を選ぶことになっていて、その選択も私に任された。叔父はゲームの類はわからなかったのである。
こうして無事に私はゲームボーイをゲットしたわけだが、早速クリスマスにすでに買ってもらっていたテトリスのソフトをゲームボーイに差し込んで私はゲームに興じた。祖母の家の仏壇の前で、私は満足していたが、一方で私は将来自分の甥か姪ができたら、このように振舞わなければならないと、心のどこかでプレッシャーを感じていた。