意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

若者のすべて

今日は朝早く家を出てサンリオピューロランドというところへ行き、妻は地下の駐車場へ車を停めたいというので、早く家を出たのだ。早く到着するためには圏央道を使うのが一番だが、高速代をケチって私は下道で、iPhoneのナビアプリを使って車を運転することにした。すると車はあまり通ったことのない道を通り、私は道に関しては全くダメで、それがどこにあったのかは全くの不明だが、刑務所の脇を通った。しかし、道の右の建物なのか、左なのか、一体どちらが刑務所なのかは私には判断がつかなかった。判断ができなかった理由は私が車を運転しながら見ていたせいでもある。左側は、建物の向こうにかなり広い駐車場があり、その駐車場は舗装がされておらず、私は商工祭をやる時に、臨時で小学校の校庭を駐車場にしたような雰囲気だと思った。商工祭は、文化の日によくとり行われた。しかし左側の建物が刑務所であるとは限らず、両サイドが刑務所ということだってあるはずだ。

帰り道に、サンクスに寄ったら、聞いたことがある曲がかかっていて困った。例えばそれが歌モノであれば、最悪声だけわかれば曲のタイトルまでたどり着かなくでも、大抵はそれが誰の歌なのかまではたどり着ける。ところで、普段きく歌について、私たちはどこまでその曲名まで覚えているだろうか? 私は中学生くらい、あるいは10代のころまでは、たまには歌詞カードを持って歌詞を見ながら曲を聴くこともあったが、いつの頃からかそういう風には聞かなくなり、私はいちいち曲名などろくに見ずに音楽をきくようになった。歌詞についても同じで、そのせいでよく詩の内容を聞き違える。そう言えば昨日か一昨日、H・Kくんがバンプオブチキンを仕事中に聞いていて、バンプオブチキンについては、私もいくらかは聞くのでたまには知っている曲もかかった。ある曲がかかったとき、やはり私はその曲のタイトルは知らないので「ある曲」という言い回しになるが、家族のことや未来の自分自身について歌っている曲のように私は聞こえた曲だった。その中でお父さんはこれこれ、お母さんはこれこれ、お婆さんはたまに主人公の顔を忘れる(痴呆が始まったようだ)と話が続き、問題はその後なのだが、髭爺という人が出てくるのだが、どうやら彼は犬らしいのだ。実は私は前々からこの部分については気になっていて、例によって私は聞き違えを起こしているのだが、私が思うに髭爺は犬であるか、あるいはみんなが犬と勘違いしていた何か別の生物なのだ。しかし何にしたって私はこれらの仮説が全て間違っていることは気づいているので、H・Kくんに質問しようと思うが、私が聞こうと思ったときには別の曲に変わっていて、そうなると質問はしづらくなってしまう。