「小説家と役者は誰でも、ある日突然なることができる」
と述べていて、さらに村上龍は「13歳のハローワーク」という著書の中で、
「小説家はあらゆる職業の中の、最後の職業。医者や弁護士から小説家になった人はいるが、逆はない」
と褒めていたが、うまい、という言い方ではなかった気もする。私は村上龍の小説を読むと、口の中がかわく。私は村上龍の小説のうち、なにを読んで何を読んでいないかは、ちょっとよくわからないが、そんなには読んでいない。高校2年のときの国語の教科書に、「パラグアイのオムライス」というのが載っていて、それはアイドルだかタレントの女の子の写真集の撮影がパラグアイで行われた、という話で、その女の子は子供のころはとても貧乏だった。父親はアル中でたまの日曜日には近所の洋食屋で、その洋食屋の主人は父親と友達だからその洋食屋に月一くらいで訪れるのだが、女の子の楽しみはそこで食べるオムライスだったそう。そういう話なのだが、ラストでパラグアイでレストランで夕ご飯を食べていたら、現地の少年が「ドラード」という魚をビニール袋に入れて売りに来て、そのドラードはもう死んでいて袋の中で腹を上に向けて死んでいて、流れ出た血が袋の底に溜まっている。私はそこまで読んでも何も気づかなかったがドラードは金色で、そのドラードと血をひっくり返すと、オムライスになる、と当時の国語教師に教えてもらった。
その教師はビートルズ好きで頭は前髪が後退してきていて、眼鏡の奥の目がいやらしい。ビートルズが好きだから当然ギターを弾けて、当時ドラムをやっていた私は仲間と文化祭に出ることになっていて、せっかくだからその先生にも声をかけてビートルズやろうぜ、という話になったが結局流れた。
その、村上龍のドラードの仕掛けを知ったときに、私は生まれて初めて小説はすごいと思ったわけだが、それ以降そういうぶっ飛んでしまうような仕掛けが施された小説には出会っていない。それは当時の国語教師のように解説してくれる人が身近にいないせいであり、同時に私が謎解きとか読み解きがすごく苦手で、苦手というか面倒で、ストーリーすら読み違えてしまうこともしょっちゅうなのである。でもよくメールをやりとりするDさんにそのことを話したら、
「誤読も才能」
とフォローしてくれた。
しかし今になって思えば、ドラードの仕掛けはオマケ的なものであり、私は村上龍はドラードの仕掛けからその小説を書いたわけではなく、書いている途中でオムライスとドラードがたまたまつながったような気がする。むしろそうであって欲しいと願う。
保坂和志は文章のテクニックについては、
「本を100冊ほど読めば、自然と身につくものだ」
と述べている。私ははてなブログを始めてから他人のブログも読むようになったが、どの文章もとてもうまいと思う。
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