「銀の匙」でも同じで、私が最初に検索したら古い中古品ばかりが出てきて、それほど需要のない作家なのかと思い、俄然読む気が起きた。本体の価格は1円であり、もしかしたら図書館に行けばタダで読める気がしたが、これも不思議なのだが、安い本ほどタダで済ませたくなるのである。それでも買おうか、と思いボタンを押すと「+250円」であり、私は別にそれで裏切られたとか詐欺だとかは思わないが、やはり1円のものを運ぶのに、その250倍の料金がかかるのは、どうしても奇妙に思える。1円玉を製造するのに、1円以上のコストがかかると聞いたことがあるが、それと同じ感覚だ、と書こうと思ったが、1円玉のほうはそれほど奇妙な感じがしない。
私は中学のときはテニス部に所属したが、私は割と早い時点で部活を熱心にやるのが馬鹿らしくなってしまい、2年になって、3年がいなくなると、部室に篭るようになり、そこを自分の部屋のように扱うようになった。すると、何人かは私にならうようになり、そのうちの1人の、四角っぽい顔の、それ寺の息子だったが背は低く、あるとき彼が何かかたいもので1円玉を潰していた。かたいもの、とは金槌だった気がするが、だとするとそれは寺から持ってきたものだろうか。私は、
「そんなことしたら、日本の経済がおかしくなるぜ」
と言った。これはお金を破壊して、お金の総数が減れば価値が上がるから、デフレになってしまう意味で、私はそのことを以前誰かに聞いていたから、そう注意したのだ。このことを知っているのは私だけかと思っていたが、彼は
「たしかに」
と答えた。しかし1円玉を叩く手は止めなかった。寺の息子だったから、だんだんと木魚を叩いているように見えてきた。
ところで銀の匙はようやく半分近くまで読んだところだが、読み終わったら何かしらの感想を書こうと思ったが、よく考えたら別に最後まで読まなくても感想は好きなときに言えばいい、ということに気づいた。私は先入観まみれになっている自分を恥じた。
私は、読んでとても愉快なところもあったけど、それよりも気になるのが、主人公の名前が◻︎でふせられていることだ。これは中勘助の幼少時代の自分の話をしているのだから、当然主体は勘助さんになるのがもっともなのだが、そうではなく、もしかしたら中勘助はペンネームだから、本名を知られたくないとの措置なのかもしれない。
しかし私はそんなふうには思わなくて、しかし、なんで思わないことをわざわざ一通り書くのか、それは日本語の謎だが、それは後日考えることにする。私が思うのはこの名前を◻︎で伏せるという行為は、それがフィクションであること、小説であることの証拠であり、宣言なのだろうと読み取った。
ところで私は昨日の記事で、前後関係は忘れたが自分の名前を「飯倉」として登場させたが、これは当然でたらめだ。名前の処理については、いろんなブログがそれぞれの表現でなされているが、いちばん多いのは「○○さん」ではないかと思う。私も○○さんと登場させてもいいのだが、iPhoneの場合、まる、と打つとまるが2種類か3種類出てきて、いつもどれがいちばんいいのか迷うので、○はいつも避けている。
- 作者: 中勘助,橋本武
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 2012/10
- メディア: 文庫
- クリック: 1回
- この商品を含むブログを見る